日本人評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 03:25 UTC 版)
秀吉を悪とし、家康を英雄とする朝鮮人一般と同じ視点を持っている。日本人は負けず嫌いで、「克つことに務め、克ちえないなら死あるのみとする」、と評したうえでかつて李舜臣が露梁海戦で一勝したのは「幸いなるかな」と記している。現状(当時)の日本は総体的に見て家康以来百余年間の平和に浴した、いうなら平和ボケであるとみている。太平の世に慣れているため、もはや朝鮮に再び攻めてくる可能性はないだろうと結論づけた。 日本人は迷信を好むとし、性理学がほとんど顧みられていないことを嘆き、何をもって道を知るのかと苦言を呈している。 かつて新羅王が日本を攻めたとき、日本側が請うた講和の際に盟約のために犠牲にした白馬を祭ったという伝説があるとされる白馬塚なる遺跡を今も大事に維持しているというストーリーを挙げたうえで、日本人は約束を守る美点があるとした。ただし、この伝説とされる話はおろか、白馬塚なる遺跡すらも日本人通詞あるいは、おそらくは申維翰本人による創作と思われ、この紀行文を読むものたち、すなわち朝鮮人へ日本のよい印象を与えようという意図があったかも知れないと考えられている。 大阪の文士たちと交流するうちに得た感想として、日本人は日本の昔の故事はあまり知らない割に、朝鮮のことは妙に詳しかったりすることを挙げている。大量の本が出版されている様をみて、朝鮮では機密に属するような中国、朝鮮の本でさえも日本では構わず出版してしまうからだろうと想像している。日本における出版について、書籍の刊行数は朝鮮の10倍どころではないとする一方で、知識人はおおむね知識だけは豊富だが、漢詩の出来についてはひどいと評価している。 日本には科挙がなく世襲が基本であることを批判している。才に優れていても出世できないのは実に惜しいと、市井に埋もれながらも優れた作詩をおこなう人物の名前を例示しつつ世襲制を「痛烈に批判」したのである。たとえば鳥山芝軒や柳順剛といった文人を挙げている。道中に書を紹介されて見いだした人々である。 日本における男娼についてコメントしている。「日本の男娼の艶は、女色に倍する」とした上で、日本では男の妻である女相手の不倫はよくあることだが、逆に男の相手の男に声をかけるなどとんでもない、といった風潮があったことを記録している。雨森の書いたものにも男娼に関する言及があったので、これをさしつつ朝鮮では男色のような風俗はないので疑義を唱えたところ、「学士(申維翰のこと)はまだその楽しみを知らざるのみ」と笑いながら返されている。これには閉口し「国俗の迷い惑うさまを知るべし」と記している。相当なカルチャーショックだったようだ。
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