日本における任侠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:55 UTC 版)
日本でも任侠を主体とした男の生き方を「任侠道」、またこれを指向する者を「仁侠の徒」というが、日本では江戸時代以降、近代および現代を通して政治が安定して法治主義が隅々まで行き届いており、反乱などもほとんど長続きしないという状態であったため、任侠の精神は社会の最下層の人間や非合法の輩の間でしか存在できないという状態が存在した。たとえば、羽倉簡堂は『劇盗忠二小伝』(別名『赤城録』)において、天保の飢饉に苦しむ貧民を率先して救い刑死した上州の博徒、国定忠治を任侠の徒として評価している。 戦前の日本の知識人や近年の国内外のヤクザ研究者のあいだでは、任侠道と武士道は同列のものであり、ヤクザは武士の倫理的継承者であるという言説が広く受け入れられている。杉浦重剛は日本人は生まれながらに大和魂を持つが、その魂が武士に顕れれば武士道、町人に顕れれば侠客道だと述べたという。また、新渡戸稲造は明治32年に英文で著した『武士道』のなかで、武士道精神は男達(おとこだて)として知られる特定の階級に継承されていると述べている。近年では山浦嘉久が『士道と任侠道』において任侠道と武士道の精神的血縁を説いている。 暴政や馬賊などがはびこる半無法地帯の中での庶民の正義という旧中国と違い、法治国家における無頼の輩が「相互扶助を目的に自己を組織化した」のが「暴力団」である。このような組織は法治国家においても、闇の部分である繁華街、不法移民の潜入ならびに不法就労の仲介、売春、賭博、麻薬、興行、ヤミ金融そして昔なら闇市などの分野で持ちつ持たれつ、あるいは搾取する立場のものとして活動している。もともとの任侠は反権力ではあっても、あくまでも暴政に対する対抗や無法地帯において脅かされる庶民を守る、という本来悪い意味を指す言葉ではなかったが、実際の日本の暴力団の少なからぬ構成員は、一般市民にたいする暴力行為、恐喝、闇金融による不法な取立て、覚醒剤密売や不法移民に対する人身売買まがいの行為などの任侠と対極に位置する行為を行っている。 任侠が人情味と同意義の言葉として、一般人のあいだでも褒め言葉として使われる場合がある。例えば、国会の場においても、福田赳夫など群馬県選出の議員とのやりとりの中で、政治姿勢としての任侠の有無について答弁がなされている。
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