新館整備計画(1981-1988)
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「広島県立図書館」の記事における「新館整備計画(1981-1988)」の解説
図書館は本来、2期に分けて整備する計画であったが、途中で2期の用地は広島県立美術館の建設予定地に切り替えられたため、拡張することが不可能となった。このため増え続ける本を収蔵するため、閲覧室や事務室、果ては玄関ホールまで書庫スペースとするために縮小せざるを得なくなった。1981年(昭和56年)の蔵書数は177,377冊と建設時の収蔵能力9万冊の倍近くに膨れ上がっていた。それでもこの蔵書数は都道府県立図書館の中で44位とかなり少なく、広島市立中央図書館の32.8万冊よりも少なかった。そこで新図書館建設が検討され、1981年(昭和56年)8月13日に広島県立図書館建設調査検討委員会は答申を出した。 当時の図書館所在地では拡張の余地がなかったため、移転先が検討され、広島大学の本部キャンパス(中区東千田町一丁目)が東広島市へ移転した後にその敷地を利用することが最有力となったが、大学の全面移転には時間がかかるため断念した。すると1984年(昭和59年)1月に東広島市が県立図書館の誘致に名乗りを挙げ、呉市も検討に加えるべきとの意見が出て、同年5月に広島・東広島・呉の3都市で候補地を探ることになった。折しも広島県立図書館より蔵書の少なかった沖縄県立図書館や兵庫県立図書館が整備を始めたことから、教育委員会は早急に結論を出す必要に迫られ、広島大学工学部跡地(広島市)に移転することを決した。同年12月8日より用地買収交渉を開始し、翌1986年(昭和61年)6月に図書館に広島県立文書館と広島県産業技術交流センターを併設した「広島県情報プラザ」として着工した。 建設工事と並行して、図書館と文書館の間で資料収集の分担が話し合われ、明治時代以前の資料収集は文書館の担当となり、図書館保有の古文書類の文書館への移行が決定した。またコンピュータの導入が決定し、1987年(昭和62年)4月の導入機種選定から検討が始まった。最終的に日本電気(NEC)の製品を導入することを決定し、同社のシステムエンジニアと協同でシステムのカスタマイズを1年以上かけて実施した。これにより県内の市町村立図書館からの相互貸借の利便性が向上し、同じNECのシステムを導入していた鳥取県立図書館とも結んで相互に蔵書検索を可能にした。 1988年(昭和63年)7月1日、新館への移転作業のため、図書館は臨時休館に入った。移転作業では先に移動図書館用の図書を新館に搬入することで、臨時休館中も移動図書館「みのり」の運行ができるようにした。
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