新館建設の要望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:39 UTC 版)
「岡崎市立中央図書館」の記事における「新館建設の要望」の解説
このように、1947年から1971年(昭和46年)までは既存の建物を暫定的に図書館として使用してきた。1953年頃から図書館の新設を訴える陳情や請願が行われており、1957年度には図書館の新設資金として毎年100万円を積み立てることとなったが、最低でも数千万円を要する建設費用の積み立てとしては少額すぎた。1965年度と1966年度の岡崎市議会では、ある議員が図書館は「寒々としていて哀れ(中略)刑務所の中という感じ」(旧岡崎商業高校時代)、「かつて軍部の手先として民衆をふるえ上がらせた“オイコラ”警察の感じ」(旧警察署時代)だとして、新図書館の建設を希求した。 1970年(昭和45年)6月頃には明大寺町に新館を建設することが決定した。明大寺町は名鉄名古屋本線東岡崎駅の南に位置する文教地区であり、1912年の開館から半世紀以上を経て初めて、名鉄名古屋本線以南に図書館が立地することとなった。この敷地には市立岡崎高等看護学院(現・岡崎市立看護専門学校)と岡崎市婦人会館があったが、それぞれ市立岡崎病院(現・岡崎市民病院)跡地と旧農林水産省種畜牧場内に移転している。
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