新たなRISCアーキテクチャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/08 17:15 UTC 版)
「エイコーン・コンピュータ」の記事における「新たなRISCアーキテクチャ」の解説
Atom の時代から、エイコーンでは MOS 6502 プロセッサからどう移行していくかを模索していた。例えば1982年には 65816 を使った16ビット機 Acorn Communicator をリリースしている。 1981年8月12日、IBM PC が登場した。これは BBC Micro のようなホビースト向けだったが、実際に成功したのはビジネス市場だった。後継の XT は1983年初めに登場した。CP/Mを搭載したZ80ベースのマシンやこれらPCの成功により、ビジネス市場が多少高価であっても十分に需要のある市場であることが証明された。したがってエイコーンがビジネス市場向けのマシンを開発することは自然の流れだった。エイコーンは既存技術を使ったビジネスマシンの開発計画を立てた。すなわち、BBC Micro のメイン基板を流用し、Tube 経由で CP/M、MS-DOS、UNIX(XENIX)が動作する追加プロセッサを実装する方式である。 この Acorn Business Computer(ABC)計画では、BBC Micro プラットフォーム上で様々な追加プロセッサが動作可能でなければならなかった。これに対応可能な Tube プロトコルの実装を検討していく中で、メインプロセッサとして 6502 以上に適当なプロセッサが見つからなかった。例えば、MC68000では割り込み応答時間がかかりすぎて、6502 のように容易にTubeの通信プロトコルを扱えなかったのである。NS32016をメインプロセッサとしたモデルの開発が行われ、後にそれを Cambridge Workstation としてリリースしたが、メモリ帯域幅が重要であることがこの開発で明らかとなった。8MHzの32016は4MHzの6502に性能で敵わなかった。さらにLisaの登場によって、エイコーンの技術者らはウィンドウシステムを開発する必要性を認識したが、それは4MHz程度の6502ベースのシステムでは容易ではなかった。エイコーンは新しいアーキテクチャを必要としていた。 エイコーンはあらゆるプロセッサを試した。そして自前でプロセッサを設計することを真剣に検討するようになった。エイコーンの技術者らはバークレーのRISCプロジェクトの論文を目にした。そして、大学院生がこんな32ビットプロセッサを作れるなら、エイコーンでも間違いなく作れると確信するに至った。ウィルソンらはウェスタンデザインセンターに出張し、CPU開発にそれほど大規模なリソースは不要で、最先端の開発機器も不要であることを知った。 ソフィー・ウィルソンは命令セットを開発し、BBC Micro 上の BBC Basic でそのプロセッサのシミュレータを書いた。この結果を見て、方向性が間違っていないことが確認された。それ以上に開発を進めるにはさらなるリソースが必要だった。ウィルソンはハウザーに事の次第を説明した。開発続行のお墨付きを得て、ウィルソンのモデルをハードウェアに実装する小規模のチームが結成された。 Acorn RISC Machine プロジェクトが公式にスタートしたのは1983年10月であった。製造パートナーとしては、すでにエイコーンにROMやカスタムチップを提供していたVLSIテクノロジーが選ばれた。1985年4月26日、最初のARMチップ ARM1 が完成した。ARM1 はまず BBC Micro の追加プロセッサとして利用され、その上で周辺チップ(VIDC、IOC、MEMC)を開発するためのシミュレーションソフトウェアが実行された。これによってCADソフトウェアの性能が向上し、ARM2 の開発が早まった。ウィルソンは BBC Basic を ARM のアセンブリ言語で書いた。命令セット設計者が書いたため、ARM 上の BBC Basic は非常にコードが稠密であり、ARM エミュレータの試験に最適だった。 ARM CPU の開発は極秘裏に行われていたため、1985年にエイコーンの経営権を握ろうとしていたオリベッティも買収が完全に決定するまでその存在を知らされなかった。1992年、エイコーンはARMでも Queen's Award for Technology を受賞した。
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