文化・史跡・人物
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旧佐賀銀行呉服町支店 - 1925年(大正14年)竣工、1934年(昭和9年)現在の外観に改修。正面に建つドーリア式の4本柱が特徴。はじめ佐賀中央銀行呉服町支店、のち佐賀銀行呉服町支店。 願正寺 - 宝海山願正寺。浄土真宗本願寺派。旧・高木町に所在。所蔵する2幅の「副島種臣の書」は佐賀市の重要文化財に指定されている。 称念寺 - 白山無量光院称念寺。浄土宗。旧・元町に所在。佐賀藩の儒学者、武富圯南や草場佩川の墓がある。 上林家文書 - 江戸期を通じて佐賀藩鍋島家の御用茶師に任ぜられ、明治初頭に鍋島家の招聘で佐賀市に移住した上林家(上林茶店)に伝わる。鍋島家を主とする諸大名や茶人らの書状、計1,056通。佐賀市の重要文化財に指定。 ひぜんえびす屋(中溝菓子店) - 長崎街道を東からやってきて最初の曲がり角にある。安永年間(1772年 - 1781年)の創業と伝わっており、佐賀市の中心街で創業が最も古い店とされる。天保14年(1843年)の古地図や嘉永7年(1854年)の竃帳に記載がある。また、店の前には古い石像の道標が2本あり、1本には「こくらみち」「ながさきゑ」と街道の行き先が記され、もう一本には佐賀城方面を指して「右おふくわんゑ」と記されている。なお、傍には幕末期の恵比須像も鎮座し、「かど恵比須」と呼ばれている。 晒橋 - 南の裏十間川に向かって流れる呉服町水路に架かる長崎街道の橋。呉服町と、東の蓮池町の境(現在は一帯が呉服元町)。名前の由来には諸説あり、この付近で見せしめのために罪人を縛り付け終日晒したからという説、この水路で呉服の布を晒した(乾かした)からという説などがある。後者は付近を船が往来していたことから考えにくいとされ、前者についても、すぐ近くに長崎奉行の泊まる本陣があることから重罪人の「晒し首」ではなく、軽犯罪者を晒したものであろうと考えられている。なお、古くは石造の太鼓橋で、現在の石桁橋に架け直された際に佐賀県内で初めてのアスファルト舗装が行われたほか、当時は市営バスも通った。 愛宕神社 - 関ヶ原の戦いの前後に災火の多かったことから、鍋島家が京都の愛宕神社で祈願を行ったところ好転した。そのため信仰を深め、1600年(慶長5年)鍋島勝茂により京都から勧進したもの。家屋が密集し、古くは度々火災に遭った周辺の町々で信仰されてきた。1949年(昭和24年)から夏祭りの際に呉服町・元町・白山町などの協力で御輿を奉納している。楼門と、1710年(宝永7年)の銘が付いた鳥居があるが、2016年熊本地震の揺れでともに倒壊、鳥居は2017年に再建された。
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