数学・論理学・数理論理学からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:53 UTC 版)
「哲学」の記事における「数学・論理学・数理論理学からの批判」の解説
数学者・論理学者である田中一之は 一般の哲学者は、論理の専門家ではない。 と述べている。計算機科学者(コンピュータ科学者)・論理学者・電子工学者・哲学博士(Ph.D. in Philosophy)であるトルケル・フランセーンは、哲学者たちによる数学的な言及の多くが ひどい誤解や自由連想に基づいている と批判している。田中によると、ゲーデルの不完全性定理について哲学者が書いた本が、フランセーンの本と同じ頃に書店販売されていたが、哲学者の本は専門誌によって酷評された。その本は全体として読みやすく一般読者からの評判は高かったが、ゲーデルの証明の核(不動点定理)について、根本的な勘違いをしたまま説明していた。同様の間違いは他の入門書などにも見られる。 フランセーンによれば、不完全性定理のインパクトと重要性について、しばしば大げさな主張が繰り返されてきた。たとえば .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「数学の思考に変革をもたらした」「数学ばかりでなく、科学全体も一新した」「数学だけではなく、哲学、言語学、計算機科学と宇宙論にまで革命を起こした」 という言があるが、これらは乱暴な誇張とされる。不完全性定理が一番大きな衝撃を与えたと思われる数学においてさえ、「革命」らしきものは何も起きていない。1931年にゲーデルが示した「不完全性定理」とは、「特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在」であり、一般的な意味での「不完全性」についての定理ではない。不完全性定理以降の時代にも、数学上の意味で「完全」な理論は存在し続けているが、“不完全性定理は数学や理論の「不完全性」を証明した”というような誤解が一般社会・哲学・宗教・神学等によって広まり、誤用されている。 詳細は「ゲーデルの不完全性定理#誤解(哲学等による誤解・誤用)」、「不完全性定理が成立しない体系」、および「ゲーデルの完全性定理」を参照 数学者ダヴィット・ヒルベルトは「数学に“イグノラビムス(ignorabimus, 永遠に知られないこと)”はない」と述べた。数学上に不可知は無く、全ての問題は最終的に解決されるというヒルベルトのこの見方は、「ノン・イグノラビムス」として知られている。ゲーデル自身も以下の、「ノン・イグノラビムス」的なヒルベルト流の見解を持っていた。 あらゆる算術の問題をその中で解決する単一の形式体系を定めることは不可能であっても、新しい公理や推論規則による数学の拡張が限りなく続いていくなかで、どんな算術の問題もいずれどこかで決定されるという可能性は排除されていない。 哲学等において「不完全性定理がヒルベルトのプログラムを破壊した」という類の発言がよくあるが、これは実際の不完全性定理やゲーデルの見解とは異なる。正確に言えば、ヒルベルトの目的(数学の「無矛盾性証明」)を実現するには手段(ヒルベルト・プログラム)を拡張する必要がある、ということをゲーデルが不完全性定理を通して示したのだった。日本数学会が編集した『岩波 数学辞典』第4版では、不完全性定理について次の通り記述されている。 ゲーデルも書いているように,有限の立場は特定の演繹体系として規定されるものではないから,彼の結果はヒルベルトの企図を直接否定するものではなく,実際この定理の発見後に無矛盾性証明のための様々な方法論が開発されている. 「ゲンツェンの無矛盾性証明」も参照
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