数学の業績
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中島さち子・小山信也 『一般化された置換のゼータ関数とその応用』 (日本数学会秋季総合分科会,2011年9月29日,於信州大学) Shin-ya Koyama and Sachiko Nakajima (2012). “Zeta functions of generalized permutations with application to their factorization formulas”. Proceedings of the Japan Academy , Series A (日本学士院) 88 (8): 115-120. doi:10.3792/pjaa.88.115. https://projecteuclid.org/accountAjax/Download?downloadType=journal%20article&urlId=10.3792/pjaa.88.115 2021年11月5日閲覧。.
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数学の業績
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「ジェロラモ・カルダーノ」の記事における「数学の業績」の解説
カルダーノは今日では代数学の業績で最も良く知られている。1545年に著した本『偉大なる術(アルス・マグナ)』(ラテン語: Ars magna de Rebus Algebraicis) の中で三次方程式の解の公式、四次方程式の解法を示した。三次方程式の解の公式についてはいささか奇妙な歴史があり、『偉大なる術』にも紹介されている。 当時、習慣的に行われていた数学競技は、問題を出し合っては解くのを競うものであったが、あるとき三次方程式の問題が出された。この頃、三次方程式はまだ完全に解かれておらず、その回答能力で勝負が決まる切り札となる問題であった。これに参加していた一方の人物は、その師よりすでに三次方程式の解の公式を伝授されて無敗を誇っていたフィオルという人で、もう一方はニコロ・フォンタナ・タルタリアという人であった。タルタリアはその時点ではまだ解法を得ていなかったが、彼は幸い自らの力でこれを導き、おまけに彼が提示した巧妙な三次方程式は相手には解かれなかった。この公式はタルタリアが長らく秘蔵していたが、カルダーノが絶対公表しないと誓いを立てたのでタルタリアはカルダーノに公式を教えた。しかし最初に述べたようにカルダーノは自著でこれを公表したためにタルタリアは怒り、カルダーノと長い論争をすることになる。また、四次方程式の解についてはカルダーノの弟子であったルドヴィコ・フェラーリが解いたものである。どちらの式もこの本で広く知られるようになった。これらの業績は他人のものだが、三次方程式の解を示す際に世界で初めて虚数の概念を導入したのはカルダーノである。 もう一つ重要なのは、カルダーノによる解法の公表が数学史上の転換点に当たっていることである。フォンタナもそうだったように、当時数学的知識は師から弟子へと口伝されるような秘術の一種であり、いまだ近代的な学問としての体をなしていなかった。カルダーノの『偉大なる術』の発表は、数学が共有される知である学問として自立を始めた端緒ということができ、「古い数秘術師」であるフォンタナを牽制する目的もまたあったと考えられる。 彼は金遣いが荒いことで知られており、本人は自身を賭博者、あるいはチェスのプレーヤーだと考えていたようである。しかし数学者らしく、1560年代に『さいころあそびについて』(Liber de ludo aleae、発行されたのは彼の死後1663年)を著し、その中で効率的なイカサマの方法として、初めて系統的に確率論について触れて記している。「ギャンブラーにとっては、全くギャンブルをしないことが最大の利益となる。」という言葉も残している。
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