放射体化学に関する研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 13:46 UTC 版)
1922年に東京帝国大学理学部化学教室に初めて「分析化学」と称する講座が設けられ、一部を担当したが1927年以降は「放射化学」の講義を担当し1943年まで続いた。これは日本における放射化学の講義の始まりである。当時執筆した「放射化学実験法」(『実験化学講座』13B, 1922年共立社)は多年蓄積された実験記録の詳細を具体的に例示した好適な指導書である。 1922年滋賀県田ノ上山で発見された微放射性マンガン土球塊について、海底又は湖底の沈積物としてのマンガン土球塊に類似していることを指摘し、太平洋深部のマンガン球塊と比較するとラジウム含有量が 4 - 5 倍の新種であることが確認された。 放射性元素についての特殊な研究として注目されるものに色暈(ハロ)の研究がある。放射性鉱物の微粒が透明な鉱物中に存在すると、その周囲の組織が長年月にわたって放射されるα線のために変色し、同心円状の着色層ができる。これを色暈と呼び、中心から表層までの距離はα線の飛程に対応する。1927年三重県石榑(いしぐれ)産黒雲母の薄片中に2種類の色暈を見出した。その一つに巨大色暈、他の一つに Z 色暈と名づけた。後者は空中飛程 1.2センチメートルおよび 2.1センチメートルのα線によるものとした。これより9年後に同じ巨大色暈がインド産菫青石にクリシュナムらによって見出され、これは RaC および ThC の長飛程α線によるものとされた。Z 色暈については11年後にゲオルク・ド・ヘヴェシーらがサマリウムが飛程1.13センチメートルのα線を放射することを発見し、飯盛の Z 色暈の1.2センチメートルα線放射体は恐らくサマリウムであろうと説明している。 希元素鉱物の探査中に見出されたいくつかの含ウラン鉱物について、鉛とウランの含有量の比が得られるので、鉱物の地質年代が推定できる。例えば南朝鮮忠清南道産サマルスキー石では134×106年、またヘリウムとウランおよびトリウム含有量の比から忠清南道及び平安南道産モナズ石では80 - 117×106年である。これら鉱物を含有するペグマタイトの地質年代はすべてジュラ紀前後であることが明らかになった。ラジオメトリー(放射測定法)に鉛の同位体指示薬として RaD と ThB とを比べてどれが使やすいかを半減期、壊変生成物の放射能から検討し、後者の方が約100倍鋭敏な指示性能を持つことを解説し、実用の際に必要な復元係数表を添付した。
※この「放射体化学に関する研究」の解説は、「飯盛里安」の解説の一部です。
「放射体化学に関する研究」を含む「飯盛里安」の記事については、「飯盛里安」の概要を参照ください。
- 放射体化学に関する研究のページへのリンク