拡張工事と陸軍省への移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:08 UTC 版)
「富山飛行場」の記事における「拡張工事と陸軍省への移管」の解説
富山県としては開業前より陸軍に対して演習に富山飛行場を使用するように期待し、陸軍の希望によって滑走路の幅員を拡張するなど、既に軍事利用を視野に入れて富山飛行場を開業させたのであるが、開業後に陸軍に与えられた評価は、冬季は積雪で使用できず、また面積が狭小であるため「左程重要視していない」というものであった。1936年(昭和11年)3月23日には土岐銀次郎富山県知事が寺内寿一陸軍大臣に対し陸軍において富山飛行場を整備拡張し、その飛行訓練等に用いるよう具申を行ったが、これも同年4月10日に却下されている。こうした開業時の狭隘さを補い、不十分な設備の改良を行うため、数度にわたって拡張工事が行われた。この拡張工事の経過については諸説あるが、稲垣森太によると1936年(昭和11年)度に最初の工事が行われ、飛行場北方の打出地区にかけて2万坪余りが拡張されたという。 稲垣森太によると第二次拡張工事は、1939年(昭和14年)度より行われたという。1940年(昭和15年)3月1日には富山飛行場拡築事務所が開設され、同年3月30日に土地収用法に係る認定公告がなされ、また同年4月1日からは拡張工事のために富山飛行場は使用禁止とされた。約48万円もの工費が投じられ、拡張と共に滑走区域の排水が悪く地盤が軟弱になってしまう状況も修復された。この第二次拡張に引続き、1941年(昭和16年)にかけて第三次拡張工事が行われ、滑走路が500メートル延伸して1300メートルになり、格納庫等の設備が増設された。一連の拡張工事の終了に伴い、富山飛行場拡築事務所は1942年(昭和17年)3月10日に廃止されている。 『富山県史 通史編Ⅵ 近代下』によると、富山飛行場が陸軍省に移管されたのは富山飛行場拡築事務所廃止に前後する1942年(昭和17年)春のことであったという。この陸軍省への移管後にあたる1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけては第四次拡張工事が行われ、富山中学校や射水中学校等の生徒が学徒勤労動員されるなど、延べ3万5000人の人々がこれに従事した。この拡張工事に伴い、1943年(昭和18年)には牛ヶ首用水の一部が移設され、約30万坪程度の面積が拡大された。
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