拘置所での奇行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:45 UTC 版)
1996年10月18日の第13回公判(井上嘉浩証人が出廷)から帰った後、「俺の弟子は……」「新実の言ったことは嘘だ」と泣き叫びながら独り言を言ったり、大声を出したり、扉を叩いたり、独房にチーズを投げつけるなどの奇行を始める。このため保護房に移された。 拘置所の看守や接見した弁護士に対しても不規則発言をしていた。さらに、弁護士との接見もしだいに「くだらない」「釈放されているからいかない」などとして拒否するようになった。2000年頃から拘置所内でも会話不能になる。「声が聞こえている」 「死刑廃止を」 「絞首場へ行かせてくれ」 「ヘロイン中毒の検査をしてください。そういう感じがする」 「ヘロインで手足が硬直し―」 「私は気が狂うかもしれない。夢の中で変なものが見えるし、聞こえたりする」 「アーチャリーはどこにいる」 「ここは拘置所ではない。日本テレビです。わたしはここに拉致されて監禁されている」 「80日間グルグル回されて精神病になっている」 「心臓が止まっています。止まっても生きているんです」 「甲子園の優勝投手だ」 「大リーグボール3号だ」 最終的に言葉らしい言葉を話さなくなった。以下は医師と面接した際のもの。「あ、あ、あ」 「い、い」 「うーうー」 「うーん」 「うふふ」 「うるせい」 「うん、うん」 「おう」 「そやな」 一審で死刑判決を受けたとき独房で「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだ。このことは裁判所による控訴棄却決定要旨にも記述されている。精神鑑定で正常と判断された根拠の1つに、腕を捻って「痛い!」と言ったことが挙げられる。 朝になると「ショーコーショーコー!」と叫んでいた。 獄中で糞尿を垂れ流すため、40代半ば頃からおむつを使用していると報じられている。風呂にも自力で入れない為、看守等に洗われるわけであるが、体に付着した大便のせいで風呂場は汚物まみれの極めて不衛生な状態となるまでとのこと。掃除の際は飛び散った大便を長靴で踏んで排水口に流せるほど細かくして流し、クレンザーで殺菌するという。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}獄中での食事は、他の者がその日の献立による普通の食事であるのに対し、麻原の場合は同じ献立の食事のメニューを全て1つの食器に入れて、それを食べさせているという。食事に使う食器はスプーンで、このスプーンは澱粉製である[要出典]。 控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに陰茎を露出させて自慰行為をおこない、射精に至ったという。自分の娘たちとの接見でも自慰行為を行ったことがあった。2005年8月、3人の娘と面会の際には麻原は忙しなく動かしていた手を止めると、スウェットパンツの中から性器を取り出すと自慰行為を始めた。3人の娘たちが沈黙している不自然な空気を感じ取った看守が気付き「やめなさい!」と看守が制止したものの、3回ほど繰り返した。3人の娘たちは絶句したまま呆然と父の自慰を見つめたまま接見時間の30分が過ぎた。 独房での生活について、東京拘置所の関係者は、HIV感染者や覚醒剤中毒者などがいる病舎の、看守も勝手に近付けない隔離独房で糞まみれになっていて、「独房でおむつの中に糞尿をたれ流したり、接見室でマスターベーションをしたりと、廃人同然の有様です」と語った。
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