戯曲『エルナニ』とそのオペラ化とは? わかりやすく解説

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戯曲『エルナニ』とそのオペラ化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:23 UTC 版)

エルナーニ」の記事における「戯曲『エルナニ』とそのオペラ化」の解説

ユーゴー作の戯曲エルナニ』は1830年にパリ・コメディ・フランセーズ劇場上演された。「三一致の法則(règle des trois unités)」「句またぎ(enjambement)の禁忌」など古典派演劇大原則逸脱し、「フランス・ロマン派演劇創始とされるこの作品初演古典派野次ロマン派支持者喝采激し衝突呼びその際騒動が「エルナニ事件戦争)」La bataille d'Hernaniとして知られているほどの話題作だった。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ初演直後1830年から31年にかけて作曲試みているが、検閲引っ掛かり序曲一幕スケッチのみで作曲中断してしまう(w:Vincenzo Bellini#Attempts to create Ernaniを参照)。この草稿21世紀に入ってCD化されている。 ヴェルディ題材選定行っていた1843年においてはその興奮醒めていたものの、『エルナニ』あるいは原作者ヴィクトル・ユーゴーの名は検閲官にとってはいまだに危険な響きをもつ存在のはずであり、モチェニーゴがなぜそういった問題作ヴェルディ提案したのか、はっきりとはわかっていない。戯曲エルナニ』の革新性演劇内容よりもその表現方法存するため、オペラ化しても安全であると踏んでいた可能性もあるし、この後ヴェネツィア検閲当局との会談同作オペラ化が案外すんなり認められたことからみて、モチェニーゴあるいはピアーヴェは何らかのルート事前に検閲動向知っていたとも想像される検閲官の意向を探るのは当時台本作家重要な職責一つであり、ピアーヴェは生涯通じてその点では有能ぶりを発揮している)。 一方、ピアーヴェの台本作家として経験不足に不安を覚えたらしいヴェルディは、当時在住ミラノから数度にわたり詳細な指示行っている。原戯曲は全5幕にも及ぶ長大なものだったが、ピアーヴェは指示沿ってこのうち1-3幕を思い切って短縮単一第1幕とした。この結果原作主人公エルナニがもっと活躍する第2幕割愛されてしまった。 また注目されるのは「最後の2幕分についてだが、できるだけユーゴー忠実に沿った方が効果的というものだろう。(中略原作素晴らし語句落とさないようにしてもらいたい」(ピアーヴェ宛1843年10月2日書簡)など、カットしない箇所に関して逆に戯曲対す忠実性をヴェルディ要求していることである(ただし、原作では3人とも死ぬ、というラストシーン改変している)。19世紀前半におけるイタリア・オペラでは、仮に「原作」などがあろうとも登場人物性格付けだけを継承して筋書勝手に再構成歌詞表現音楽都合次第改変する、というのが(ロッシーニドニゼッティといった大家例外でなく)常識だっただけに、ヴェルディのこの作曲態度はまった新し時代象徴するのだった

※この「戯曲『エルナニ』とそのオペラ化」の解説は、「エルナーニ」の解説の一部です。
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