成都攻撃とは? わかりやすく解説

成都攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 06:40 UTC 版)

飯田房太」の記事における「成都攻撃」の解説

1940年昭和15年9月華中方面前線部隊12空 (司令長谷川喜一大佐)に配属され1940年昭和15年10月26日昼、「長谷川部隊戦闘機隊」を指揮して成都対す戦闘機単独長駆襲撃 (第三回成都攻撃)を実施し新津北東の上空で中華民国軍10機(「E15型戦闘機x5フリート練習機x4輸送機x1)と交戦して全機撃墜1940年昭和15年11月6日公開され『日本ニュース』第22号で「敵機撃墜の八勇士」として報道された。 第三回成都攻撃における飯田所属の「零式艦上戦闘機」(以下、「零戦」)一一型8機の編成操縦者以下の通りであった指揮官 飯田房太大尉二番機 光増政之一空曹三番機 平本政治三空曹、第二小隊 一番機 山下小四郎空曹長二番角田和男空曹三番岩井勉二空曹、第三小隊 一番機 北畑三郎空曹二番大木芳男二空曹。 また、角田和男は、昭和15年12在隊当時零戦活躍飛行隊支那方面艦隊司令長官から感謝状授与され搭乗員達が喜んでいた際、飯田大尉だけが浮かぬ顔で、 「こんなことで喜んでいたのでは困るのだ。空襲勝負をつけることはできないのだぞ。戦闘機制空権握って攻撃隊、艦隊の安全を確保し海軍制海権握って陸軍輸送の安全を確保するのが任務だ。最後勝利陸軍歩兵さんに直接足で踏んでもらわなければならないのだ。砲兵工兵歩兵前進させるための掩護部隊にすぎない。その陸軍歩兵重慶成都占領する見込みなくては困るのだ。今、奥地攻撃で、飛行場に全弾命中などと言っているが、重慶60キロ爆弾一発落とすには、爆弾の製造費、運搬費飛行機燃料機体消耗搭乗員給与消耗など諸経費計算すると約千円かかる。相手飛行場爆弾穴を埋めるのに苦力クーリー)の労賃五十銭ですむ。実に二千対一の消耗戦なのだ。こんな戦争続けていたら、日本は今に大変なことになる。歩兵重慶成都占領できないなら、早く何とかしなければならないのだ。こんな感状などで喜んでいられる状態ではないのだ」 と話したことを回想し、「飯田大尉こそ、私の11年半の海軍生活の中でただ一人だけ、この人とならいつ、どこで死んで悔いはないとまで信服していた士官だったのである」と記している。

※この「成都攻撃」の解説は、「飯田房太」の解説の一部です。
「成都攻撃」を含む「飯田房太」の記事については、「飯田房太」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「成都攻撃」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「成都攻撃」の関連用語

成都攻撃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



成都攻撃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの飯田房太 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS