成立要素
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 05:27 UTC 版)
イタリアの中世都市はその大部分がローマ都市を起源としており、大多数の都市には地中海商業(ただし、古代のものと中世のそれは異なる。詳しくは後述)が伝統としてあった。しかし中世初期のそれがビザンティウム中心の東地中海の商業網と地中海の南岸及び西地中海を覆うイスラム商業網があったが、時代が進むにつれて商業の動脈が内陸へと移って行った。10世紀にアマルフィ、パレルモ、ヴェネツィアは商業圏の発展に伴って成長した。このようにして都市には経済的中心地としての機能が備わり、これには帝国崩壊後の支配者たちも着目した。やがて都市は城砦を持つ中心地となった。これらの中世都市の中枢機関が過去のローマ市内の範囲であり、都市発展の連続性が暗示されている。また支配者が頻繁に変わったにもかかわらず司教とその信徒の関係性に大きな変化が起きなかったため、9世紀から10世紀のイタリアでは、特に東方のマジャール人と南方のイスラーム勢力から身を守るために司教の周りに人々が集結し、司教は精神だけではなく都市の秩序を守る存在となった。 コムーネの成立には教会の権威が権力者の没落により上昇し、銀貨の品位が司教によって決められるようになった。また、司教権力の増大で都市市民の発言力が増大した。コムーネが出てきたのは11世紀末から12世紀初期で、平和団体であったものが恒常的統治機関となり、その際農村、都市に社会的変容を齎した民衆的宗教運動が重要な役割を果たした。特に積極的に動いたのが商人的市民と周辺の土地所有者層であった。領有国家の概念としてコムーネの発展に重要であったのが「コンタード」という概念で、伯の支配領域という意味であったが、これは伯にとっての伯領と同様都市コムーネにとっても司教区の範囲は支配下に入るという考え方である。
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