成立論に関連する「玉鬘系」に肯定的な諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 15:32 UTC 版)
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武田と相前後して、また武田以後、武田説に対しては武田説をそのまま認める立場とともに、以下のような武田説を大筋で認めながらも何らかの修正を加える立場がいくつか現れた。 現在の『源氏物語』には存在しない「輝く日の宮の巻」と「桜人の巻」の存在を想定し、それによって武田説に存在した「並びの巻」と「玉鬘系」の「ずれ」を解消し、「本来の並びの巻が本来の玉鬘系そのものであり、紫上系に対して後記挿入されたものである」として源氏物語第一部の中に失われた巻の存在を想定する風巻景次郎の説 源氏物語の、特に第一部は「長編的な物語」と「短編的な物語」とに分ける事ができ、まず長編的な物語が書かれた後に短編的な物語が書かれて長編的な物語の間に挿入されていったとし、挿入は必ずしも巻単位ではないとする池田亀鑑の説 帚木三帖と末摘花を葵帖着筆前の後記挿入、蓬生及び関屋を少女巻執筆後の後記挿入とする伊藤博の説。 玉鬘系の巻々のうち玉鬘十帖などは紫上系の巻々より後に書かれたが、帚木三帖は逆に紫の上系の巻々より前に書かれたとする斎藤正昭の説。
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