懐疑論、確率論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:16 UTC 版)
「ブレーズ・パスカル」の記事における「懐疑論、確率論」の解説
『パンセ』においては、主に懐疑論や確率論を重要視した思索、人間考察が目立つ。また、「懐疑論は宗教に役立つ」としている特徴もある。確率論について言えば、「パスカルの賭け」などを含むいくつかの神学的な思弁において「賭けの必要性」を重要視していることは特筆すべき点である。また、懐疑論においては、その他、確実性や不確実性についての論理的な思弁がいくつも見られる。パスカルの懐疑論がどのようなものであったかについては、パスカルの論理における懐疑論の意味を示している文章からさしあたり以下の四つを参照する。 懐疑論。 この世では、一つ一つのものが、部分的に真であり、部分的に偽である。本質的真理はそうではない。それは全く純粋で、全く真である。この混合は真理を破壊し、絶滅する。何ものも純粋に真ではない。したがって、何ものも純粋な真理の意味においては、真ではない。人は殺人が悪いということは真であると言うだろう。それはそうである。なぜなら、われわれは悪と偽とはよく知っているからである。だが、人は何が善いものであると言うだろう。貞潔だろうか。私は、いなと言う。なぜなら、世が終わってしまうだろうからである。結婚だろうか。いな。禁欲のほうが優っている。殺さないことだろうか。いな。なぜなら、無秩序は恐るべきものとなり、悪人はすべての善人を殺してしまうだろうからである。殺すことだろうか。いな。なぜなら、それは自然を破壊するからである。われわれは、真も善も部分的に、そして悪と偽と混じったものとしてしか持っていないのである。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、242~243頁。 真の証明が存在するということはありうる。だが、それは確実ではない。だから、これは、すべて不確実であるというのは確実ではないということを示すものに他ならない。懐疑論の栄光のために — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、244頁。 懐疑論反駁〔これらのものを定義しようとすれば、どうしてもかえって不明瞭になってしまうというのは奇妙なことである。われわれは、これらのものについて、いつも話している〕われわれは、皆がこれらのものを、同じように考えているものであると仮定している。しかしわれわれは、何の根拠もなしにそう仮定しているのである。なぜなら、われわれは、その証拠を何も持っていないからである。なるほど私は、これらのことばが同じ機会に適用され、二人の人間が一つの物体が位置を変えるのを見るたびに、この同じ対象の観察を二人とも「それが動いた」と言って、同じことばで表現するということをよく知っている。そして、この適用の一致から、人は観念の一致に対する強力な推定を引き出す。しかし、これは肯定に賭けるだけのことは十分あるとはいえ、究極的な確信により絶対的に確信させるものではない。なぜなら、異なった仮定から、しばしば同じ結果を引き出すということをわれわれは知っているからである。 これは、われわれにこれらのものを確認させる自然的な光を全く消し去ってしまうというわけではないが、すくなくとも問題を混乱させるには十分である。アカデメイアの徒なら賭けたであろう。だが、これは自然的な光を曇らせて独断論者たちを困惑させ、懐疑論の徒党に栄光を帰させてしまう。その徒党は、この曖昧な曖昧さと、ある種の疑わしい暗さとのうちに、存するのである。そこでは、われわれの疑いもすべての光を除くことができず、われわれの自然的な光もすべての暗黒を追いはらうことができない。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、246頁。 懐疑論者、ストア哲学者、無神論者たちなどのすべての原理は真である。だが彼らの結論は誤っている。なぜなら、反対の原理もまた真であるからである。 — パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、1973年、247頁。 パスカルは、自身が実験物理学者としての側面を持っているからということもあるが、個別の事物事象、個別的な事例への観察から帰納的な思弁を行う哲学者であり、その結果、「パスカルの賭け」などを含めて実存主義的な思索を残した。そして、完全に明晰な真理とされるものをも懐疑し続けた。これは、同時代(17世紀)の思想を代表する合理主義哲学者ルネ・デカルトが、「明晰判断」を重視する演繹的な証明によって普遍的な概念を確立しようとしていたことと比較して対極的である。 「パスカルの賭け」については、そちらの頁を参照されたい。
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