愛国者の女性と前線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 10:10 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における女性達」の記事における「愛国者の女性と前線」の解説
多くの愛国者女性は自分の家で植民地軍を支える活動を行ったが、戦争の最前線にいて厳しい現実に直面した女性もいた。戦闘が家産に近づくにつれて、それを守ろうと奮闘する女性達は暴力の脅威に直面することになった。敵の軍隊による陵辱は常に可能性があり、一人で家を守る女性には恐怖の根源であった。イギリス軍の略奪者から守るために武器と度胸を備えなければならない女性もいた。 周りに男性がいない家に留まることを拒む女性がいれば、夫の留守中に経済的にやっていけない女性もいた。このような女性達は大陸軍に付いていき、将兵達の洗濯女、料理人、看護婦、裁縫師、性の相手、清掃人などをこなし、時には兵士あるいはスパイとなった。軍隊についていく女性達は、指揮官達によって「必要な厄介者」とか「お荷物」と呼ばれた。それでもこれらの女性達は軍宿営地の運営を円滑にする役割を果たした。売春婦もいたが、性病の蔓延を恐れた軍の指導者にとっては迷惑な存在であった。 上級士官の妻(例えばマーサ・ワシントン)がしばしば宿営地を訪れた。宿営地にいる貧乏な女性達とは異なり、これら富裕層の女性が宿営地を訪れることの価値は実用というよりも象徴的なことであった。彼女たちがいるだけで、すべてのものが戦争になんらかの犠牲を捧げているという宣言になった。 大陸軍についていく女性達の数は資料によって異なり、2万人というものもあり、少なく見積もっても宿営地全体の3%はいたということである。女性達は様々な理由で軍隊に加わった。飢えや陵辱の恐れ、寂しさ、切迫した貧乏、最後の頼みの綱、夫に付いてきた、などであった。宿営地の女性達は兵士と同じ指揮官に従ったが、あれこれと言うことは許されなかった。激しい戦闘が行われた地域や敵に占領された地域では、安全な地域よりも女性の数が多かった。これは戦闘が行われた地域では大陸軍の保護を求める女性が多かったことによる。 戦争で戦った女性達は、その女性の動機や行動によって賞賛と侮蔑の間で揺れ動く二律背反の感情で迎えられた。男に従って献身的に尽くした女性は賞賛され、徴兵の報奨金欲しさに入ってきたような女性は男達の侮蔑をかった(前者の例はアンナ・マリア・レーン、マーガレット・コルビンなど、後者の例はアン・ベイリー(偽名サミュエル・ゲイ)である。ベイリーは除隊され、罰金を科され、2週間刑務所に入れられた。またアン・スミスは報奨金のために軍隊に入ろうとしたことで非難された)。 デボラ・サンプソン、ハンナ・スネル、サリー・セントクレアは巧妙にその性別を隠した(セントクレアの場合は死ぬまで)。サンプソンは見つかったが名誉の除隊を遂げ、古参兵の年金を数年後に貰えた。 軍隊の機密情報を含む伝言や手紙をペチコートの下に隠して敵の占領地をすり抜け届けた女性もいた。デボラ・チャンピオン、ハリエット・プルーデンス・パターソン・ホールおよびリディア・ダラーがこれにあたる。
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