おざなり
「おざなり」とは、その場をしのぐために物事をいい加減に済ませる行いのことを意味する表現である。
「おざなり」とは・「おざなり」の意味
おざなりは何かに取り組む際、真剣に取り組まず適当である様を表す。真面目ではないながらも、体裁としての取り組みや行為が伴っている点が特徴である。動作が伴う状態が想定されるため、用法としては動詞と共に使用されるケースが多い。漢字では「御座成り」もしくは「御座形」と表記される。稀に「おなざり」という表記が見られるが誤用であり、このような表現は存在しない。おざなりとよく似た言葉として「なおざり」が挙げられるが、実際にはニュアンスが異なるので注意が必要だ。なおざりも基本的には物事に対していい加減な姿勢を指す言葉であるが、「物事をおろそかにして放置する」という様子が含意されている。「おざなり」には行為や取り組みが伴っているのに対して、「なおざり」には行為や取り組みが伴っていない点が相違点だ。おざなりは意識的にいい加減な取り組み方をしているが、なおざりは無意識的におろそかにしている。なお、なおざりの漢字表記は「等閑」だ。
「おざなり」の語源・由来
おざなりの起源は江戸時代に遡ると言われている。当時、宴会の場である座においては芸人が雰囲気を盛り上げることがしばしばであった。「御座成り」の座は「当座」を意味しており、つまるところその日の宴会現場を指す。芸を披露する芸人とは別に、観客の機嫌を取るサポート役を務めていたのが「幇間(ほうかん)」と呼ばれる男性芸人である。幇間は別名「太鼓持ち」とも呼ばれ、その日の観客に応じて芸の内容を変えることが多かった。力を入れて芸を披露することもあれば客層によっては手を抜くこともあったため、おざなりの「いい加減でその場しのぎ」という意味はここに由来している。おざなりという表現の古典的引用としては、1811年に著された雑俳『柳多留』の五八編にある「お座なりに芸子調子を合はせてる」が有名だ。「おざなり」の熟語・言い回し
おざなりにするとは
わざと物事に対する取り組みに手を抜き、適当に済ませることを「おざなりにする」と言う。おざなりという言葉の基本的な言い回しの1つである。
おざなりになるとは
「おざなりになる」は、初めのうちは真面目に取り組んでいたものの徐々に不真面目な姿勢に傾倒していく際に用いる言い回しである。心境の変化や外的要因によって、意識的に作業が雑になってしまう様子を指す。
おざなりにされるとは
相手や第三者が自分のことをわざとおろそかに扱っている場合は「おざなりにされる」のように、受動態的な言い回しをすることが出来る。相手が意識的にそうしているか否かは判別が難しい場合もあるので注意したい。もし無意識的におろそかになってしまっているのであれば「なおざりにされる」が好ましい。
「おざなり」の使い方・例文
・今まで上手く立ち回っていたが、おざなりに仕事を済ませたことが上司にバレた。・スポーツにおいて、日々のトレーニングをおざなりにする選手に未来はない。
・受験勉強は1つ1つの単元をおざなりにせず、着実に知識を定着させることが肝要だ。
・職場での扱いがおざなりで適切に評価してもらえないので、近々別の企業へ転職する予定だ。
・やるべきことが多過ぎて、1つ1つがおざなりになってしまっている。
・友人とのコミュニケーションをおざなりにしているようでは、本物の親友を得ることは出来ないだろう。
・仕上げがおざなりなところを除けば、君の仕事は完璧だったので非常に残念だ。
・先代がおざなりに跡継ぎを決めたせいで、その流派は衰退の一途を辿った。
・おざなりな姿勢は周囲から見ても分かりやすいので、自分のためにも早急に改めた方が良い。
・彼は両親から引き継いだ大切な事業を、こともあろうかおざなりにした。
御座形
品詞の分類
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