弘法大師伝説とは? わかりやすく解説

弘法大師伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:20 UTC 版)

八坂寺 (徳島県海陽町)」の記事における「弘法大師伝説」の解説

鯖大師呼ばれる由縁は、この地を訪れた空海弘法大師)の伝説よる。 伝説拠れば平安時代初期弘仁年間810年 - 823年)に空海八坂八浜訪れた際に、行基手植えの下で野宿し行基夢を見た。そこを塩鯖を馬に背負わせた馬子通りがかった。空海塩鯖所望したところ、馬子口汚くののしり断った。坂にさしかかったところで馬が急に苦しみ動かなくなった慌てた馬子先ほどの僧は巡錫中の空海違いない思い空海差し出し馬を治して欲しいと懇願した空海加持を馬に与えたところ、馬はたちまち元気になった。また、空海が法生島(ほけじま)で先ほど塩鯖加持祈祷行い、海に放ったところ塩鯖生き返り泳いで行った。これに感服した馬子空海弟子となり、この地に小堂を建て行基の像を祀り行基庵」と名付けた。また「鯖瀬庵」とも呼ばれた空海加持祈祷行った海岸鯖瀬(さばせ)と呼ばれている。

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弘法大師伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/21 01:20 UTC 版)

会津五薬師」の記事における「弘法大師伝説」の解説

会津五薬師建立に関して次のような伝説がある。昔、会津の地は磐梯山に住む魔物によって常に立ち込め太陽遮られ作物が育たなかった。そのため、人々病気蔓延し長い間苦しめられた。このことを聞いた朝廷弘法大師空海)を会津派遣した弘法大師法力により魔物撃退し、さらに、人々無病息災心身堅固五穀豊穣祈願のため、5体の薬師如来像造立することとした。しかし、完成直前朝廷より帰京の命が下ったため、後事徳一上人依頼しやむなく帰京したその後徳一5つの堂を会津各地建立し完成した5つ薬師如来安置したという。空海会津へ来たという確証はなく、また、徳一南都六宗一つ法相宗の僧で新興仏教担い手であった空海とは対立する立場であった。そのため、上記伝承あくまでも伝説であって事実ではないといえる会津五薬師が現在真言宗寺院となっていることから、おそらくこれらの寺が真言宗改宗した際に寺を空海結びつけるためにこのような話を創造したであろう

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弘法大師伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 22:52 UTC 版)

乙寶寺」の記事における「弘法大師伝説」の解説

平安時代には、空海弘法大師)が巡錫中に立ち寄った場所といわれており、空海乙宝寺境内地面仏具の「独鈷杵」(とっこしょ)で突くと湧き出したという伝説がある。名前は独鈷突いた独鈷水(どっこすい)」が次第訛って「どっこん」と呼ばれるようになり、そのは約1200年たった現代でも境内豊富に湧き出ている。この飯豊連峰伏流水で、胎内市周辺広く水道水代わりとして利用している。

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