行基伝説とは? わかりやすく解説

行基伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 19:20 UTC 版)

八坂寺 (徳島県海陽町)」の記事における「行基伝説」の解説

行基まつわる伝説残されている。これは、江戸時代前期貞享4年1687年)に真念という僧によって書かれ四国遍路現存する最古ガイドブックである『四国遍路指南』(しこくへんろみちしるべ)に記載されている伝説である。 これに拠れば行基四国巡錫している時にこの地を訪れた際、を馬に背負わせた馬追通りがかった。行基所望したところ、馬追はこれを断った行基はこれに対し大坂八坂坂中ひとつ 行基にくれで馬の腹や(病)む」と歌を詠んだ。すると、馬は急に腹痛で動かなくなった困った馬追行基差し出した行基今度は「大坂八坂坂中ひとつ 行基にくれて馬の腹や(止)む」と、「くれで」を「くれて」と1文字変えて詠むだけで、馬の苦しみ治まった。 この行基の話は、江戸時代初期寛永18年1638年賢明によって書かれ四国巡拝記録誌『空性法親王四国霊場御巡行記』にも記載見られるまた、江戸時代後期寛政12年1800年)に作製され四国巡礼ガイドブック四国遍礼名所図会』にも記載がある。 行基詠んだとされる歌は、弘法大師伝説では空海が「大坂八坂坂中ひとつ 大師にくれで馬の腹や(病)む」、「大坂八坂坂中ひとつ 大師にくれて馬の腹や(止)む」と詠んだとされている。

※この「行基伝説」の解説は、「八坂寺 (徳島県海陽町)」の解説の一部です。
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