行基の地図作成伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:18 UTC 版)
現存する「行基図」には“行基菩薩”作と記されているものが多いが、六国史や仏教史書では行基による地図作成については触れていない。また、最古の「行基図」は、延暦24年(805年)に下鴨神社に納められたものであるとされているが、現存しているものは江戸時代の書写であり、内容も明らかに延暦年間当時の状況の反映でない(延暦期にはなかった加賀国が記載されている)。 そもそも行基が生きていた時代の「行基図」が実在するならば、都は大和国平城京(数年の例外はあっても)にあったのだから、大和国を中心とした地図の筈であるが、こうした地図は見つかってはいない。このため、本当に行基が地図を作ったのかを疑問視し、「後世の人々が作者を行基に仮託したのが伝説化したものではないか」とする見方もある。 なお、中世に成立した『渓嵐拾葉集』に引用された『行基菩薩記』には、「行基が全国を回ったことで諸国の境界が定まって開墾が進み、行基がその結果を図にして日本を独鈷の形で描いたことで仏法が栄えた」とする伝承を載せている。
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