行商期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:09 UTC 版)
1927年(昭和2年)の末より、北斗はガッチャキ(痔)の薬の行商人として北海道各地のアイヌコタンを廻る。それはあくまで同族の人々にアイヌの地位向上のために自覚と団結、修養が必要であると説いて廻るためであった。小樽・千歳・室蘭・白老・幌別を巡り、室蘭では「民族学研究家」として迎えられ、白老では森竹竹市と対面、幌別では知里真志保と再会している。このような動きは北斗だけで行っていたわけではなく、それに共鳴した鵡川の辺泥和郎が上川から天塩を、十勝の吉田菊太郎も同様に道東を廻っていたといい、北斗らはこれを「アイヌ一貫同志会」と呼んでいたというが、この会がどのようなものであったのかはわかっていない。 1928年(昭和3年)の春に一旦余市に戻った北斗は、資金を集めるために実家のニシン漁を手伝う。 歌人としては、毎週のように『小樽新聞』に短歌が掲載され4月には札幌・雫詩社の歌誌『志づく』が「違星北斗歌集」の特集を組むなど、注目されつつあった。この『志づく』は雑誌の特集とはいえ、生前に出版されたある程度まとまった歌集としては、唯一のものである。
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