引退後―ママさんランナーから市議会議員へ
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「宮原美佐子」の記事における「引退後―ママさんランナーから市議会議員へ」の解説
1990年、結婚。挙式はハワイのマウイ島で行われるマウイマラソンを独身最後に2人で走った後にあげる。以後は川口市に居を移し、東京の旭化成アミダスに所属。旭化成ランニングアドバイザーとして「走ることの楽しさ、すばらしさ」を多くの人に伝える活動に従事することになる。 1992年10月と1994年12月相次いで女児を出産、2児の母親となったが、その間も家事、育児、会社勤めの傍ら各地に招かれてランニング指導、講演、対談、シンポジウムのパネラー、マラソンや駅伝放送の解説等の幅広い活動を続ける。 その一方で、市民ランナーそしてママさんランナーとして、ホノルル・フィジー・ゴールドコースト・名古屋・東京など、世界中のフルマラソンレースにも出場している。 1997年から川口市行政審議会委員を2期務める。2001年からは埼玉県からの要請を受け、埼玉県教育委員会の教育委員も務めるが、教育委員会の政治姿勢への疑問から2005年3月に辞任。同年5月22日投票の埼玉県川口市の市議会議員補欠選挙に民主党推薦の無所属で立候補する。「オリンピック出場のとき、段ボールに5、6箱もの千羽鶴を贈って励ましてくれた川口の子供たちに何の恩返しもできず、心にずっとひっかかっていた。その世代が若い親になったいまこそ、教育問題でお役に立ちたい」と出馬したという。 公示日と投票前日は、市民ランナーらしくそれぞれ21キロずつ計42キロ走っての選挙活動を行い、46,865票を獲得。他の3人の候補を抑えて初当選。旭化成陸上部時代の恩師、宗茂・猛からは、蘭の花とともに「持ち前の負けん気の強さを生かせ」とのアドバイスを贈られた。その2年後の2007年4月、4月22日投票の川口市市議会議員選挙には出馬しないことを表明。 2007年5月、一部週刊誌で自民党愛知県総支部連合会における次回総選挙の候補者選定で最終選考者として取り沙汰され、2008年に愛知県第2区からの出馬が内定。2009年8月30日投票の第45回衆議院議員総選挙では、前職で民主党の古川元久に10万票以上の差を付けられ、重複立候補した比例代表でも復活当選を果たせずに落選した。
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