引退宣言と撤回
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:39 UTC 版)
「ロジャー・クレメンス」の記事における「引退宣言と撤回」の解説
2003年、通算300勝を達成したクレメンスは現役引退を表明する。ところがシーズンオフに「99%」と語っていた引退を撤回。故郷テキサスのヒューストン・アストロズと契約を結んだ。 2004年は一度引退を表明した選手とは思えないすばらしい成績を残す。そしてオフ、クレメンスは再び「99.9%引退する」と宣言する。しかし、その後FAを宣言したり、年俸調停で球団側に2200万ドルを提示するなど現役続行への動きを見せ、2005年1月22日に投手としては史上最高額となる1800万ドルの1年契約を結んだ。これは野手を含めても史上4位タイの高額契約だった。 彼がたびたび引退を仄めかすのには理由がある。最愛の母・ベスが病気がちな上、かなりの高齢であるため、生きているうちに殿堂入りをする自分の姿を母に見せてあげたいと思っていたからであった(引退後5年を経過しなければ殿堂入りの資格は得られない)。そのため、オフのたびに現役続行か引退かで心が揺れ動いていた。そして、2005年9月14日午前4時30分ごろ、息子の殿堂入りを見届けることなくクレメンスの母は75歳でこの世を去った。当日先発予定だったクレメンスは「前の晩、母に『仕事に行きなさい』と言われた」と、母の死を見届けた後、予定通りに先発登板。ワイルドカードを争うマーリンズを7回途中、1失点に抑え12勝目。通算340勝目を天国の母へ捧げた。 その後も2005年のシーズンオフにアストロズを自由契約となった後、WBC2次リーグ敗退の際「現時点では『さよなら』だ」という引退表明とも取れるコメントを残したが、2006年5月31日に2200万0022ドルでアストロズと1年契約ながら再契約を結んだ。
※この「引退宣言と撤回」の解説は、「ロジャー・クレメンス」の解説の一部です。
「引退宣言と撤回」を含む「ロジャー・クレメンス」の記事については、「ロジャー・クレメンス」の概要を参照ください。
- 引退宣言と撤回のページへのリンク