引退問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:29 UTC 版)
引退問題の始まりは2002-2003年シーズンだった。ワイルドカードプレーオフにて、チームはすべてが上手くいかない試合の末ファルコンズに大敗。試合後の記者会見にファーヴが姿を現さなかったことから(過去に数回あったのみ)、引退するのでは?と大々的に報道された。このときは現役続行を発表したものの、後に「本当はあのシーズンで引退するつもりだった。だが、ファルコンズ戦の大敗を受け、現役続行を決意したんだ」と語っている。 時を同じくして、チームもファーヴの後継となるQB探しを始めた。2003年にハイズマン賞受賞QBのエリック・クラウチ(英語版)、2004年に元クリーブランド・ブラウンズのエースQBティム・カウチ(英語版)を獲得するも、満足のいく選手ではなかった。 2005年シーズン、自己ワーストのQBレイティング70.9に終わり、ファーヴ加入以来初の負け越しを経験すると、引退がいよいよ現実味を帯びてきた。開幕前、ドラフト1巡指名でQBアーロン・ロジャースを獲得していたことも引退を匂わせる要素であった。それでもドラフトギリギリまで考えて現役続行を決意。 2007年シーズン、チームは大躍進を遂げ、スーパーボウルまであと一歩のところまで迫った。このことから来年も現役続行するのではないかという見方が一般的であった。本人も「今までほど決断に時間はかからない」とコメントしていたが、この年のオフに引退を表明した。 しかしキャンプに入る直前、突然現役復帰を希望して復帰騒動を起こした。3月の引退表明後、パッカーズはロジャースを中心としたチーム作りに着手。ドラフトでQBを2人指名するなどファーヴ抜きで戦う準備を進めていた。それゆえにチームとしては復帰は決して歓迎できるものではなかった。ファーヴもそれを理解しており、トレードあるいは解雇を要求した(チームを混乱させたことだけが理由ではなく、GMや首脳陣への不信も大きな理由であった)。パッカーズ側は復帰を歓迎する筋の発表をする一方、裏舞台では球団社長自ら復帰を思いとどまるよう説得にあたっていた。パッカーズはファーヴが現役復帰しない場合、彼に10年2000万ドルを支払う提案も行った。しかしファーヴの意思は変わることなく、8月6日にニューヨーク・ジェッツへのトレードが決まった。 2009年2月12日、2度目の引退宣言を行い、18年の現役生活に幕を下ろすことを表明した。記者会見では、「もう、ほかのプロ選手たちと同じようなパフォーマンスはできない」と語った。引退の最大の理由は右肩の負傷であった。4月には、正式にジェッツを退団し、「現役復帰するつもりはない」とも述べた。 しかし、翌5月に入ると、またしても現役復帰が噂されるようになった。復帰先として有力視されているのはミネソタ・バイキングスで、バイキングスのマーク・ウィルフ球団社長がファーブ獲得に関心を抱いていることを正式に認めた。更に、古巣パッカーズへのリベンジ意識がファーブの現役復帰を後押ししていることが報じられ、8月18日にミネソタ・バイキングスと契約しトレーニング・キャンプに参加していることが報じられた。
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