引退後、そして死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:31 UTC 版)
「ルドルフ・カラツィオラ」の記事における「引退後、そして死」の解説
1952年に負った傷が回復した後、1956年からはダイムラー・ベンツによる「特別販売活動」に協力した。この活動は、北大西洋条約機構(NATO)に所属する軍隊の100万人に及ぶ兵士たちを乗用車販売のターゲットとしたものである。部隊はヨーロッパ中に散在していたため、カラツィオラは南はトリポリから北はオスロまで各地の軍事基地を訪れ、車のデモ走行などに精力的に取り組んだ。カラツィオラはその名声と人柄からどこの基地でも歓迎を受けるとともに人々を魅了し、4年に渡るこの活動により、ヨーロッパ中の軍隊に車が売れるようになり、メルセデス・ベンツの販売に大きな貢献を果たした。 1959年初めから原因不明の体調不良を起こすようになったが、それでも各地の基地を訪問する活動はやめなかった。6月を過ぎると容体は急速に悪化し、9月28日、入院先のカッセルの病院で肝硬変により死去した。その遺体は自宅のあったルガーノの墓地に埋葬された。
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