引退後および没後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 19:44 UTC 版)
「ジェームズ・クレノフ」の記事における「引退後および没後」の解説
引退前後から、高齢化による自己抑制の解放現象によるものか、自分は「ケルアック以前のヒッピーである」といった過激とも思える発言をメディアに対して行うようになる。最晩年には網膜の黄斑変性のため、失明に近い状態に陥り、手首の関節炎も悪化していたが、それでも手探りで鉋を作ろうとした。思想的にはデービッド・パイのアマチュアリズム論(パートタイム・プロフェッショナリズム論)と柳宗悦の美的直観論に共鳴していた。2009年9月に逝去。88歳没。 没後、遺族による端的なクレノフ評が紙上で報道された。「父は、素朴ではあっても、木工の考え方には妥協しない反骨の人でした。ですが、自分の作る家具と同じくらいにセンチメンタルな人でもありました。」と。クレノフ本人は、自らを「アマチュア」「熱狂家(enthusiast)」「ヒッピー」と定義するのを好み、「プロフェッショナル」「デザイナー」「芸術家」と呼ばれるのを嫌った。そして自身が期せずして「ビッグネーム」になってしまっていることへの警戒心を常に怠らなかった。没後の評価は、今後クレノフの影響がどういう形で展開されるかを見るしかないが、現段階ではカリスマ視する熱烈な信奉者も多くいる一方で(とくにアメリカ)、産業化できない純粋な家具工芸のみに徹したため、家具産業やデザイン業界にとっては無視せざるを得ない存在となっている。
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