引き渡し論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 01:31 UTC 版)
この事件を複雑にしているのは、犯罪人引渡し協定を共有していない香港と台湾の政治状況である。香港は中華人民共和国(中国)の特別行政区であるため、台湾との間で独自の条約を結ぶことができなかった。中国は台湾を分断された省とみなし、台湾の中華民国政府を認めていないからである。また、かつてはイギリス領でもあり、イングランド法に由来する独自の法制度(英語版、中国語版)で運営されている香港に、法体系の異なる中国が隣接しているため、香港は、中国との間で犯罪人引渡し協定を結んでいなかった。これは香港が被告人を中国に引き渡さないようにするもので、中国から見れば(ひいては香港から見れば)台湾も含まれる。 この「法的抜け穴」を埋めるため、香港特別行政区政府は2019年2月、「逃亡条例」(香港条例第503章)と「刑事事宜相互法律協助条例」(香港条例第525章)を改正し、香港特別行政区行政長官の命令で、香港が正式な犯罪人引渡し条約を締結していない法域へも、各事案ごとに個別で是非を判断し、逃亡者を移送する仕組みを設けることを提案した。特に陳同佳による潘暁穎殺人事件について、香港特別行政区行政長官の林鄭月娥は、潘暁穎の両親から娘の正義を求める5通の手紙を受け取ったことに言及し、「潘夫妻からの手紙を読まれた方は、我々が彼らを助けなければならないと思われるでしょう」と述べた。林鄭月娥は、「異例の短さ」といわれる20日間の公開審査で提案を早めることを求め、通常の立法手続きを迂回し、「もし我々があまりにも慎重に行動し、ゆっくりと意見を募ったり、諮問文書を発行したりするならば、我々はこの特別な事案を助けることができないだろうと懸念している」と説明した。 改正案は、陳同佳を台湾に連れてくることを可能にし、中国への引き渡しも可能にするとしている。このことは、香港社会の様々な分野に懸念を与えていた。民主派は、中国共産党が管理する中国の法律から香港という法域を切り離し、1997年の香港返還以来実施されていた「一国二制度」の原則が侵食されることを懸念している。改正案の反対派は、香港特別行政区政府に対し、台湾との間だけで犯罪人引渡し協定を結ぶなど、他の方法を模索し、陳同佳容疑者の引き渡し後すぐに協定を解除するよう求めた。 台湾はこの改正案に皮肉を込めて反応しており、 大陸委員会副主任委員の邱垂正(英語版、中国語版)は、香港特別行政区政府の改正案が殺人事件を「言い訳」にした「政治的動機」によるものではないかと疑問を呈している。また、中華民国政府は、台湾を中華人民共和国の一部と定義した犯罪人引渡し協定を香港との間で締結しないと表明した。中華民国政府は、台湾人が中国に引き渡される危険性が高くなるとの理由で、改正案に反対している。 香港ではこの改正案に対する地元の反発が着実に高まっている。2019年6月9日には、数10万人から100万人以上と推定される抗議者が街頭を行進し、改正案の撤回と香港特別行政区行政長官の林鄭月娥の退陣を求めた。これにもかかわらず、香港特別行政区政府は6月12日に改正案の第2回目の読会を進めると発表した。これを受けて、6月12日に改正案を阻止しようとする一部の抗議者のやり方が激化し、立法会総合ビル(英語版、中国語版)の外に集まった抗議者と、催涙ガスとゴム弾を配備した警察との間で強い緊張が生じた。その後の抗議行動は、2019-2020年香港民主化デモ行動中の警察の不祥事疑惑(英語版、中国語版)の調査や選挙制度改革を要求(英語版、中国語版)するなど目的を拡大し、香港内のさまざまな地区に広がり、現在も進行中である。 6月15日、林鄭月娥は改正案を中断すると発表した。その後も抗議が続き、改正案の完全な撤回を求める声が上がった。9月4日、13週間に及ぶ抗議行動の末、林鄭月娥は夏季休会から立法会期が再開された際に改正案を撤回することを正式に約束した。10月23日、保安局長(英語版)の李家超(英語版、中国語版)は、陳同佳の出所と同日に、香港特別行政区政府が改正案を正式に撤回することを発表した。
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