廃止直前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:06 UTC 版)
2014年(平成26年)3月15日時点の運行概況は次の通り。 定期列車は13往復が運転され、1往復(下り5号、上り24号)は福井駅 - 越後湯沢駅間、1往復(下り21号、上り6号)は和倉温泉駅 - 越後湯沢駅間、それ以外の列車はすべて金沢駅 - 越後湯沢駅間で運転されていた。 列車番号や号数は越後湯沢駅へ向かう列車が下りを表す奇数、逆方向が上りを表す偶数となっていた。これは、はくたかがJR西日本主体の列車であり、北陸本線に合わせたためである。 東京駅から上越新幹線を利用し越後湯沢駅で乗り継ぐことにより、魚津駅 - 東京駅間は最短2時間50分台(北陸3県の歴史上、初めて東京までの陸路が2時間台となる)、糸魚川駅 - 東京駅間は最短2時間50分台、直江津駅 - 東京駅間は最短2時間20分台、東京駅 - 富山駅間は最短で3時間10分台、東京駅 - 金沢駅間を最短3時間50分台、金沢駅 - 東京駅間を最短3時間40分台で結んでいた。走行区間の大部分を北越急行ほくほく線(当時営業最高速度160 km/h)や北陸本線(最高速度130 km/h)が占めるため、表定速度は100 km/hを超え、日本の特急列車の中ではトップクラスの速さであった。 ほくほく線内では信号機に高速進行の信号現示を行うことにより130 km/hを超える高速運転が可能とされた。運転開始時点で「はくたか」のほくほく線内の最高速度は140 km/hで、最終的に2002年(平成14年)には160 km/hに向上した。国内の在来線で最高速度160 km/hを達成したのは当列車が初めてであり、廃止されるまでは日本国内の狭軌の在来線における最高速度の列車であった。なお、ほくほく線の線路は高速走行ができるように、分岐器やレールの形状などは新幹線と同等のものを用いている。2011年(平成23年)時点の北越急行のWebサイトにおいては、これ以上の速度上昇は技術的に困難であると公表されていた。
※この「廃止直前の状況」の解説は、「はくたか」の解説の一部です。
「廃止直前の状況」を含む「はくたか」の記事については、「はくたか」の概要を参照ください。
廃止直前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:18 UTC 版)
2012年3月17日以降の土曜日・休日には、営業終了に伴う需要増を想定し、3往復の臨時列車が運行された。 最終日である2012年3月31日は臨時ダイヤが組まれ、15往復および十和田市発三沢着の1本が各駅停車で運転された。途中駅を始発・終着とする列車はない。最終便は十和田市19時55分発、三沢20時26分着と、三沢20時30分発、十和田市21時01分着。 これらの他に「鉄道営業最終列車」と銘打たれた列車も運転された。乗車には乗車券の他、事前配布の「乗車整理券」を持参した上での受付が必要であった。これは三沢21時00分発、十和田市21時31分着で、途中駅には停車しない。この1本を含めると、16往復運転されたことになる。
※この「廃止直前の状況」の解説は、「十和田観光電鉄線」の解説の一部です。
「廃止直前の状況」を含む「十和田観光電鉄線」の記事については、「十和田観光電鉄線」の概要を参照ください。
廃止直前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:25 UTC 版)
「あさま」は1日19往復が運行されており、うち4往復(下り1・11・17・29号/上り10・18・30・38号)が直江津発着(下り29号は長野から快速列車)、それ以外は長野発着であった。なお、長野発着のうち1往復(下り5号/上り20号)は、夏季・冬季のみ臨時列車扱いで妙高高原まで延長運転を実施していた。列車番号は号数+3000M。29号の長野駅 - 直江津駅間(快速列車)は3327M、延長運転時の長野駅 - 妙高高原駅間は号数+9000Mとされた。 「白山」は1日1往復が運行されており、列車番号は下りが3051M、上りが3052Mであった。 「あさま」・「白山」共に、信越本線 横川駅 - 軽井沢駅間の急勾配区間(碓氷峠)を経由するため、同区間専用の補助機関車であるEF63形電気機関車との協調運転を実施していた(後述)。
※この「廃止直前の状況」の解説は、「あさま」の解説の一部です。
「廃止直前の状況」を含む「あさま」の記事については、「あさま」の概要を参照ください。
- 廃止直前の状況のページへのリンク