廃止から復活開業の方針が決まるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:00 UTC 版)
「河戸駅」の記事における「廃止から復活開業の方針が決まるまで」の解説
廃止後に広島市はJR西日本との線路敷地無償譲渡協定において「市から電化延伸の協議要請があれば応じる」との約束を取り付け、地元による工事費全額負担の条件付きで可部駅 - 河戸駅間の電化延伸による復活開業の可能性を残した。旧河戸駅周辺住民と広島市は、廃線後も月に1回JR可部線電化延伸等連絡会を開催。2005年(平成17年)以降も住民による電化延伸の要望は行われたり2006年(平成18年)11月26日には、地元住民による可部駅 - 河戸駅間の電化延伸を訴える住民パレードが開催。2007年(平成19年)にも同様のパレードが開催されたこのほか、廃線区間の線路の草刈り・沿線へのひまわり植樹・観光案内看板設置など、地道な運動を継続していたが、恩恵を受ける沿線住民にも資金集め等の具体的な動きはなく、また広島市は財政難を理由に消極的で、電化延伸は具体化しなかった。 しかし、2003年(平成15年)廃線時から5年間で住民は約150人増加したこと、さらに、2008年(平成20年)9月末に国の補助対象(幹線鉄道等活性化事業費補助)に選ばれ、同区間の電化復活についての議論が本格的になされることとなった。 沿線住民は引き続き、2008年11月29日には「まちづくりフェスタ」を開催した。同年6月から復活運動を盛り上げる為に、オープンカフェを運営開始。同年12月には、2009年(平成21年)の商品化を目指して、可部線復活を願うクッキーの試作を行った。2009年(平成21年)3月には同盟会主体で、循環バスの運行・親水公園建設・特産品・イベント。さらには活動資金の確保のため、これまで見学した鉄道会社を参考として、枕木オーナー・駅命名権の発売の住民プランを広島市およびJR西日本に提出した。 2009年(平成21年)12月に、広島市とJR可部線活性化協議会により、可部線の電化延伸による一部復活案を活性化計画素案に盛り込む事が明らかになった。これに呼応して、2010年(平成22年)3月に、協議会が駅周辺の宅地開発の構想・取り組みを強化。さらなる住民増加による需要増を目指した。その後、市との協議で、同年9月21日に広島市は翌2011年度の着工を目指すと発表。JR西日本は2010年度中に事業化の可否について判断するとした。同年12月には、利用促進のための協議会および、宅地開発を目的とした区画整理事業組合設立準備を進めると報じられた。
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