帰郷・山下洋輔との出会い
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大学を抹籍処分になった後もモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行し、バンドの司会などでかなりの収入を得ていた。しかし、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命に3年近く保険外交員として勤務し、2歳年上の同僚の女性と結婚した。その後旅行会社に転職し、系列の大分県日田市のボウリング場支配人に転属となった。 1972年、渡辺貞夫の福岡でのコンサートスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間間近まで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、半開きになっていたドアから中を覗くと、室内ではコンサートに同行していた山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなどで乱痴気騒ぎをしていた。そこに通りがかりのタモリが乱入し、中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げると、それを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村が機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじると、タモリがそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、中村とのインチキ外国語の応酬に発展。表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。 「この男はジャズファンに違いない」と確信した山下は、福岡市内のジャズバーに「モリタという名前の男を知らないか」と片っ端から問い合わせた結果、「喫茶店の変人マスターでは?」という情報が入り、再会を果たすことになる。この時期タモリは転職して喫茶店のマスターとなっており、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。再会後は、山下トリオが九州に赴く際の遊び仲間となり、山下のエッセイ等でしばしば取り上げられるようになった。 1975年の春、山下が行きつけの新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いと言うのなら一度見てみたい」と、タモリを上京させる機運が高まり、バーの常連(奥成達、高信太郎、長谷邦夫、山下洋輔、森山威男、坂田明、三上寛、長谷川法世、南伸坊ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、会のカンパによって、1975年6月に上京を果たす。 上京時に開かれた独演会では、「4か国語麻雀」や「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎演じる宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」など、リクエストを含めた即興芸を披露した。
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