帰郷・相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:44 UTC 版)
「坂口平兵衛 (2代)」の記事における「帰郷・相続」の解説
平兵衛によれば、「その頃の私は一種のやんちゃもんでして、柔道家の山根、佐伯、永見というような荒らくれ者とばかりつきあっていました。急に私が帰らなくてはならなくなった。先代の合名社長豊蔵が五十九歳で昭和五年に死亡し、私は豊蔵の養子になっていた。二十五歳だったが相続することになった。相続は(プラスの)財産を受けるのが当たり前ですが、私は十に余る会社の社長を引き受けた。それは借金を引き受けるということで、苦労を相続したのです。昭和六年は日本史上かつてない不景気な時代で、生糸、製鋼所、電気会社も苦労しました。時には十日もまともに食事をしない日がありました。その当時、国家が手厚い保護の手を伸べてくれ、電気も製鋼所も生糸事業も、元金に損害を与えずに合併することが出来たのです。合併とは経営を譲ったということです。一人の被害者も出さずに、利益を供与して解散することが出来た。これは珍しいことです。不景気でいかん時だったしねえ。そんな時に世界大戦が起き、政府が手厚い保護をして合併させて、銀行も事業も無傷で済んだ。その当時の政府も偉かったですね。」という。
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