帰郷と妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:12 UTC 版)
晩年には病の養生のため、阿波(美馬郡貞光)へ帰郷した。 慶応4年4月8日(1868年4月30日)没。享年31。近代の幕開けとほぼ同じくして人生に幕を下ろす。戒名は武堅院義秀勝遠日行居士。墓所は故郷、徳島県美馬郡つるぎ町貞光の柏尾家墓地内(現在は徳島市内に移されている)。 馬之助の妻は、千葉家出身で若く優秀な北辰一刀流小太刀の使い手であったこともあり、馬之助没後に義父の嘉蔵から実家に帰ることを勧められている。帰郷に際し、実家より持参していた短刀一振りを柏尾家に残した。 なお、柏尾家の家督は柏尾嘉蔵(賀造)の長男で実兄の柏尾元左エ門が継いでいる。
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