帰路 1766年3月-11月とは? わかりやすく解説

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帰路 1766年3月-11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 17:32 UTC 版)

モーツァルト家の大旅行」の記事における「帰路 1766年3月-11月」の解説

一家パリに2か月滞在していた。この期間に彼らは演奏会を開かなかったが、グリムによればヴォルフガング交響曲演奏される機会はあったという。グリム2人の子どもの成長興奮気味に記している。彼によれば、ナンネルは「ハープシコードを最高の技術華麗さにより演奏でき」そして「彼女に比肩し得る者は彼女の弟を置いてほかにいなかった。」彼はヴォルフガングに関して芸術絶頂にあるカペルマイスター多くもこの9歳少年知っていること知らないまま死んでいくのだろう、というブランズウィックBrunswick)の言葉引用した。「もしこの子どもたちが住んでいたら」と、グリム続けている。「彼らはザルツブルクには居続けられないだろう。すぐに権力者たちが彼らを誰の下に置くべきかを巡って議論始めるからである。」 このパリ滞在の間に作曲されヴォルフガング楽曲唯一現存しているのは、彼が初め挑戦した本式教会音楽となったキリエ ヘ長調』K.33である。7月9日コンデ公ルイ5世ジョゼフ招き受けた一家パリ離れてディジョン訪ねた。そこでは7月19日演奏会地元管弦楽団伴奏より子どもたちが演奏したが、レオポルト楽団員対す蔑み言葉を残している。「Très mediocreUn miserable italien detestable – Asini tuttiUn racleur (a scratcher) – Rotten.」次に一家赴いたリヨンでは、ヴォルフガングが「1時間15分にわたって出来うる限り熟達により前奏曲演奏したにもかかわらず褒美は何もなかった。」 8月6日のハーゲナウアー宛ての手紙にはトリノへ進みそのまま北イタリア横切りヴェネチア入りその後チロル経由して帰宅したいというレオポルト希望記されていた。彼は「旅を楽しみ旅を愛する我々は、まっすぐに進む」と書いているが、こう付け加えている。「(略)家に(寄り道せず)帰らねばならないと言ったのだから、約束守らないといけないな。」一家スイス通過する近道通って8月20日ジェノヴァ到着し、ここでは子どもたち2度演奏会行い著名な作曲家アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ挑戦受けた何年後になってグレトリはこの時の出会いについて記している。「私は彼(ヴォルフガング)に変ホ長調アレグロ書いてやった。難しい曲だったが演奏してみせてはやらなかった。彼はそれを弾きこなし、私自身を除く誰もがそれは奇跡だと思った。彼は決し間違えことはなかったのだが、転調すると私が書いたパッセージあちこち別のものに変えて演奏していたのだ。」このようにヴォルフガング弾きこなせないパッセージ直面する即興行ったという主張は、彼を試そうしてやってきた人々から出た唯一の否定的意見のようである。 旅がスイス越えて続く中、ローザンヌチューリッヒでも演奏会開かれたネーデルラント出発後、ヴォルフガングはあまり作曲をしていないチューリッヒ演奏会のために書かれた『クラヴィーア小品』K.33bと、その後フュルステンベルク家の王子のために書かれた数曲のチェロ作品散逸)である。その王子一行10月20日ドイツ国境のドナウエッシンゲンに至ると彼らを歓待し、約12日滞在させた。旅を再開した彼らは11月8日ミュンヘンへと到着したが、ここでヴォルフガングが病に倒れたため2週間足止め余儀なくされる。しかし、彼は11月22日にはナンネルと共に選帝侯演奏披露できるまでに回復していた。数日後ザルツブルク目指し出発した一家は、1766年11月29日ゲトライデガッセ英語版)の我が家へと帰り着きこれをもって旅行完結した

※この「帰路 1766年3月-11月」の解説は、「モーツァルト家の大旅行」の解説の一部です。
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