帰藩した脱藩者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 05:41 UTC 版)
「亀田藩士秋田退散事件」の記事における「帰藩した脱藩者」の解説
しかし、帰藩した者を亀田藩は厳しく扱った。帰参者らに対して麻裃で出仕するように命じ、秋田藩との合意内容を無視した。藩主の命に従って出仕したものが17人いて、帰参した家中らが分裂した。秋田藩では一門や家老の連名で抗議の向上書を亀田藩に届けたが、その返答は納得出来るものではなかった。帰参者は悲惨な生活をし、服を売って米に代えその日の暮らしを送る有様であった。秋田藩では協議の上で275両を拠出し帰参者を救済した。正月22日には5人が改易処分になり、それを聞いた秋田藩では約束違反だと抗議をしたが、亀田藩主の回答は、自分の家来の処罰については第三者がとやかく干渉すべきではないと言い切っている。さらに、今後帰参藩士がどのようなことを申し越しても取り上げないでもらいたい、幕府への聞こえもよろしくないので、たとえ家名に拘るようなことになってもやむを得ないと、強硬な態度を示した。幕府への聞こえも問題にしないと言われれば、秋田藩側では打つ手は無いに等しかった。 この処置により、新屋村へ改易者の一部が再度到着したが、秋田藩では亀田藩の態度がますます硬化することを危惧し、金子を渡して退散を命じた。
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