希望の党との合流案・立憲民主党の結成
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「民進党」の記事における「希望の党との合流案・立憲民主党の結成」の解説
9月25日、東京都知事の小池百合子が希望の党を立ち上げると、同党との連携を探る動きを見せる。一部報道では、希望の党の旗揚げに先がけ、小池と前原が極秘に会談し、民進党と希望の党の合流が協議され、最終調整に入ることで合意がなされていたことが、27日午後の報道によって明らかとなった。また、前原は第48回衆議院議員総選挙に関しては、民進党所属の衆議院議員が希望の党に公認申請・立候補することを認める方針を固めた。 9月28日、衆議院解散後に行われた党常任理事会において、党として比例代表を含め公認候補を擁立せず、希望の党に公認申請を依頼し、事実上希望の党と合流する案が提案され、党常任理事会が承認。さらに、その後行われた両院議員総会において、全会一致で採択され、これにより民進党は事実上の「解党」と報じられた。また、両院議員総会の中では、民進党と小沢一郎率いる自由党を軸とした野党勢力の結集を目指すことを理由に、自由党との合流を提案することも表明されている。参議院議員の党籍および地方組織については、そのまま据え置くこととした。 同日、連合は逢見直人事務局長名の談話で、「大きなかたまりとして安倍政権に代わる選択肢を国民に示すことが重要である」として、一連の流れを支持する姿勢を明らかにした。 ただし、小池は民進党出身議員のうち、希望の党側で選抜するとし、民進党全体との合流は否定した。これにより一部の立候補予定者は公認が得られる可能性が極めて低くなった。また、希望側の姿勢に反発して合流を拒否する者も現れ、このうち一部は無所属での出馬を表明。また、枝野幸男を代表とする「立憲民主党」が結成された。前原は9月28日に、「現職、支部長含めて全員が(希望の)候補になるように尽力したい」と述べたにも関わらず、希望・立憲民主・無所属の三分裂で選挙に臨むに至ったことについて、10月3日には、「全てが想定内だ。政権交代可能な状況を作らないといけない」と発言したが、27日には「賭けのようなものだった。みんなで合流したいと思ったが、約束を守れなかった」と語り、調整不十分のまま見切り発車したことを認めた。 10月12日、小川敏夫参議院議員会長は、希望・立憲民主への移籍組や無所属議員の再結集を模索し、政党として残ることを表明。しかし、希望・立憲民主とも総選挙後も含め民進党へ復帰することを否定。立憲民主党の枝野代表は10月12日、BSフジの番組で「新しい旗を立てた以上は、我々の旗を大事にしながら大きな勢力にどう広げていくか」だと述べている。また、希望側も民進党出身の細野が、フジテレビの報道番組の中で「元の民進党に戻るなんてあり得ない」と否定した。 10月26日、岡田克也元代表は、無所属で当選を果たした民進党系衆議院議員の国会活動における受け皿を作るため、自身が代表となり衆議院院内会派の無所属の会を結成し、衆議院議員13名が参加した。 そして、選挙後に行われた両院議員総会の中で、総選挙で不振に終わった希望の党に合流する当初の方針を撤回し、地方組織を含め民進党を存続させることを正式決定。また、前原は11月1日の特別国会召集前に代表を辞任する考えを表明。そして、10月30日に再び行われた両院議員総会で、前原の代表辞任を全会一致で了承。31日の両院総会で国会議員の投票による3度目の代表選を実施することを決定。前原もこの後希望の党に移籍した。
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