州の分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:55 UTC 版)
「アメリカ合衆国51番目の州」の記事における「州の分離」の解説
現在の州の中から新しい州を創設することは、その州議会の承認があれば現憲法下で可能である。実際に、以下のような事例があった。 メイン州はもともとはマサチューセッツ州の一部だったが1820年3月15日に分離独立した。 ウェストバージニア州は旧バージニア州北西部の郡の集まりであり(故に、分離の際「ウェスト」が追加された)、南北戦争の際に合衆国(北軍)に忠実だったこれらの郡が、連合国(南軍)を支持する旧バージニア州から1863年に分離独立した。 分離にいたらなかった、もしくは構想中のものは以下のとおり。 1965年6月4日、カリフォルニア州議会でテハチャピ山地を境にして州を2つに分ける議案に投票が行われた。提案者は州上院議員のリチャード・ドルウィグ(民主党、サンマテオ郡)で、議案は人口の多い南カリフォルニア7郡を他の51郡(=カリフォルニア州)から分離するものだった。議案は27対12で可決された。この案を有効にするためには、州下院、住民投票、および合衆国議会での承認を必要とした。ドルウィグが予測したように、この法案は州議会の委員会を通らなかった。 ニューヨーク市をニューヨーク州から独立させる提案があった。これはニューヨーク州北部(ニューヨーク市を除くニューヨーク州の大半)の分離要求のやりとりから派生したものであった。ロングアイランドが独立した州になると考えた者もいた。 ニューヨーク州と同様な環境で、シカゴがイリノイ州から独立する提案があった。これはシカゴ都市圏だけで人口が州の過半数を占めていたからである。この提案の変化形がミルウォーキーからゲーリーまでの帯状の地域で、いわゆるシウォーキーと呼ばれるものである。 歴史を見ると、オレゴン州南部とカリフォルニア州北部がそれぞれ現在の州から脱退して、新しい一つの州「ジェファーソン州」を作る可能性があった。ジェファーソン州が出来ていれば49番目の州で、アラスカ州とハワイ州はそれぞれ繰り下がって、50番目と51番目になったかもしれない。 1996年、1999年および2005年にリンカーン州という名の51番目の州を作る動きがあった。この州はワシントン州東部とアイダホ・ペンハンドルを合わせるものだった。 1784年、現在のテネシー州東部の住人がフランクリン州という名の新しい州としてその地域を組織する投票を行い、合衆国議会に連邦加盟の請願を行った。しかし議会はその請願に反応しなかった。ノースカロライナ州はかってテネシー全体を領有化する主張を行っていたが、一旦連邦政府にその処遇を預けていた。ここへきてノースカロライナ州が再び領有権を主張したため、フランクリン政府は崩壊した。1790年、ノースカロライナ州は再度フランクリンを含むオハイオ川南岸領土の領有権を放棄し連邦政府に戻した。同領土は後に連邦への加入を認められテネシー州となった。 似たようなことがミシガン州のアッパー半島で幾度か起こった。ここではスペリオル州という州を作るために、時には隣接するウィスコンシン州の一部の郡やマキノー海峡を隔てたロウアー半島北部の一部の郡と共に分離を望んだ。
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