州の事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 05:56 UTC 版)
「ジョン・W・スティーブンソン」の記事における「州の事情」の解説
スティーブンソンは議会に与えた最初の演説で、州都をフランクフォートのままとするか、あるいはレキシントンかルイビルに移すかを議会が最終的に判断するよう求めた。遷都はそれを望む者がいた。その演説では州都をフランクフォートのままとするのを望んでいることが明らかだったが、既存の州会議事堂ビルは州財務官や監査官の事務所を収用する余裕が無く、追加スペースが必要になることも述べていた。州都にはより空間があり、より壮大なものにするものを追加する案を描いていた。その拡大の費用を捻出するために、財政について保守的なスティーブンソンは、南北戦争でケンタッキー州が負った費用を連邦政府が支払うよう圧力を掛けた。スティーブンソンの任期が明けるまでに、ケンタッキー州はその請求で150万ドル以上を集めた。しかし州議会はスティーブンソンの州都拡張計画を無視し、議事堂の隣に別の行政ビルを建設することで応じた。 スティーブンソンは、州の歳出が増えていたので、その状態を注意深く精査することも提唱した。州債を使う短期負債発行を止めるよう提案した。しかし、学校の人種分離に資する課税に賛成であり、1870年には州の教育局創設に貢献した。黒人の大半はそこそこの価値ある資産を持っていなかったので、新税はその教育制度を支援するだけの歳入をほとんど生まなかった。州議会は、州内への移民を加速するために州の移民統計局創設の提案を、1870年に拒否した。スティーブンソンは議会を説得して、少年犯罪者に対する矯正ハウスの設立など、州の刑罰と慈善団体に関する改善を行うことに成功した。 地方の警察が民衆を守る任務に失敗したと考える人々が、例えば自分達を「レギュレーター」(規制者)と呼んで自警団を結成するような場合におきやすい暴徒の暴力は、スティーブンソンが知事であった時代に進行した問題だった。1867年9月スティーブンソンは、全ての州民に警察に従うよう促し、全ての自警団組織は解散するよう命令した。10月1日、自らを「ロージーの部隊」と称する集団がマリオン郡で、反レギュレーター暴動を始めた。スティーブンソンは州兵長官フランク・レーン・ウルフォードをマリオン郡に派遣し、必要ならば民兵隊を使って暴力沙汰を鎮めることを認めた。ウルフォードは民兵3個中隊を招集して、「ロージーの部隊」を鎮圧し、さらにはボイル郡でも別の暴動を抑えた。10月下旬、スティーブンソンはマーサー郡に州民兵隊を派遣し、さらに1869年にはボイル郡、ゲアリド郡、リンカーン郡にも送った。スティーブンソンは「どのような口実であろうとも、徒党を組んで民衆に対する暴力により、法を足で踏みにじるような者を逮捕し、正義を示すために必要となる場合はいつでも、軍隊を派遣することに躊躇しない」と宣言した。
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