岐阜電気への改組とは? わかりやすく解説

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岐阜電気への改組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:50 UTC 版)

岐阜電気」の記事における「岐阜電気への改組」の解説

開業以来順調な需要拡大結果岐阜電灯発電機5台・総出130 kWという小規模火力発電所だけでは供給力限界達した。そこで水力発電への電源転換試み周辺の河川調査した結果長良川水利権出願した1906年明治39年)のことで、出願は「岐阜電気」の名義であった。その一方岐阜地方への電力供給目的をもって田中功平近藤重三郎大岡正らも揖斐川支流粕川水利権出願した。この3名は愛知県岡崎市電力会社岡崎電灯1897年開業)の創業者で、岡崎電灯での成功機に近隣三河電力岐阜県中津川中津電気など周辺地域電気事業参画しつつあった。 事業目的同じくする出願重なったことで県当局による審査長期化すると予想されたため、話し合いの末に岐阜電気発起人側が岡崎側の発起人粕川水利使用権として7000円を支払った上で粕川水利権合同出願するという形に落ち着いた1907年1月粕川水利権許可があり、1月25日付で新会社岐阜電気株式会社岐阜市設立された。資本金30万円岐阜から岡本太右衛門桑原善吉箕浦宗吉の3名、名古屋から大岡正・山田治郎(機械製造業)の2名が取締役入った岐阜電気では岐阜電灯営業権および財産全部払込資本金額37500円の2倍にあたる75000円買収する決定2月6日付にて逓信省から事業譲受認可得た一方岐阜電灯側は翌3月25日付で解散している。 新会社岐阜電気設立直後1907年3月11日岡本太右衛門死去した太右衛門家は長男の茂が相続し襲名7代目岡本太右衛門)、家業継いだほか、岐阜電気後任社長に就任した以後名古屋電灯との合併まで7代目岡本太右衛門社長務めることになる。 翌1908年明治41年12月粕川最初発電所として揖斐郡春日村(現・揖斐川町)に小宮神発電所竣工した新発電所の出力300 kWで、15日より使用開始し反対に22日付で旧発電所廃止している。水力発電転換伴って供給成績大幅に伸長しており、転換前の6月時点では岐阜市内を中心とする605戸に電灯2775灯(市外供給稲葉郡加納町の1戸156灯)を取り付けていたが、これが水力発電転換後12月時点には需要家2224戸・取付灯数6284灯となった

※この「岐阜電気への改組」の解説は、「岐阜電気」の解説の一部です。
「岐阜電気への改組」を含む「岐阜電気」の記事については、「岐阜電気」の概要を参照ください。

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