室内機の発展史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 07:13 UTC 版)
「フリーフライト (模型航空)」の記事における「室内機の発展史」の解説
ホビー/スポーツとして楽しまれている現在の室内機の起源は、1920年代まで遡る。但し、19世紀までの模型航空は飛行を学術的に追求した実験で、条件の管理や実験操作が楽な室内が使われた。(下記) 世界で最初の模型気球実験(1709年バルトロメウ・デ・グスマウ神父: リスボン所在のカザ・ダ・インディアの大使応接室: ポルトガル国王など臨席) 蒸気動力つき模型飛行機の実験(1848年ウイリアム・ヘンソン: イギリスの工場建屋の中)。 1920年代中頃にはアメリカで室内機の競技会が開催され、平板翼型で2分内外の記録が出た。2分の滞空は現在の屋外のライトプレーンでも熟練者水準の記録で、湾曲板翼を使うようになると滞空時間は5分台へと倍増した。 1930年頃のバルサ導入によって軽い機体が容易に作れるようになり、加えて中空(パイプ)の胴体が導入され、滞空記録は10分の大台にのる。 1934年にはカール・ゴールドバーグがマイクロフィルム(後述)機で滞空記録22分。30分の壁は15年後にクリアされ、それより13年後の1962年には、イギリス空軍のカーディントン基地の飛行船格納庫(長さ250m、幅55m、高さ48m)で45分に達した。 現在では室内機の滞空性能は1時間を越えるが、室内野球場などの大きな空間によっても記録は向上するので、記録を追う意味が薄れてきている。そのため、会場の大きさに段階を設け、それぞれのクラスで記録を比べるようになった。また、機体も仕様制限を強化して絶対性能を抑え、加えて大小・難易のクラス分けを行い、多彩な競技を楽しめるような枠組みに変化している。 日本の室内機競技は、世界記録が40分を越えた1960年代に、その技術を文献上で勉強したエリートたちが、最新の材料で作った機体を使って始めた。比較的短期間の内に10分の大台を超えることはでき、1970年代初めには20分が、そして70年代末には40分が記録され、20年足らずの間で世界に追いついた。
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