実戦参加まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:17 UTC 版)
「サウスダコタ (戦艦)」の記事における「実戦参加まで」の解説
アメリカ海軍は日本海軍の新型戦艦(大和型戦艦)について情報収集をおこない、ノースカロライナ級戦艦の設計をあらためてサウスダコタ級戦艦を建造することになった。サウスダコタは同級の1番艦として、1939年(昭和14年)7月5日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工した。1941年(昭和16年)6月7日にハーラン・J・ブッシュフィールド夫人によって命名、進水。1942年(昭和17年)3月20日、初代艦長トーマス・L・ギャッチ(英語版)大佐の指揮下就役した。フィラデルフィアでの艤装完了後、サウスダコタは6月3日から7月26日まで整調訓練を行った。8月16日にフィラデルフィア海軍工廠を出航、パナマに向かった。8月21日にパナマ運河を通過し、トンガのヌクアロファに9月4日到着した。その二日後、ラハイ水道で海図にない暗礁に衝突し船体に大きな損傷を受けた。工作艦ヴェスタル(USS Vestal, AR-4)から応急修理を受けた後、9月12日に真珠湾へ向かい補修を受けた。9月15日、ソロモン海で行動中のアメリカ軍機動部隊を伊19が襲撃し、空母ワスプと駆逐艦オブライエンが沈没、戦艦ノースカロライナが中破して長期修理を余儀なくされた。姉妹艦ノースカロライナの離脱により、ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントンは、異なる形式のサウスダコタと行動を共にすることになった。 実戦投入されることになったサウスダコタには、年齢を偽って志願した12歳のカルビン・グラハム(英語版)も乗艦していた。サウスダコタは10月12日に出港し、空母エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)を中心とした第16任務部隊と共に訓練を行った。同部隊は10月16日に真珠湾で再編され、空母ホーネット(USS Hornet, CV-8)を中心とした第17任務部隊(英語版)と共に、エスピリトゥサント島の北東において10月24日に集結した。トーマス・C・キンケイド少将の第61任務部隊は、空母2隻(ホーネット、エンタープライズ)、戦艦1隻(サウスダコタ)、巡洋艦6隻、駆逐艦14隻になった。本艦と同世代艦であった大和型戦艦大和は、連合艦隊司令長官山本五十六長官の旗艦としてトラック泊地から動かなかった。
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