宇治郡
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- ^ a b 宇治巡検(新歓巡検) - 奈良大学 地理学研究会
- ^ 『角川日本地名大辞典 京都府 上巻』(1982年)「宇治市」項。
- ^ 宇治市歴史的風致維持向上計画【本編】第1章 宇治市の歴史的風致形成の背景 P.14 - 宇治市
- ^ a b 「古代地名大辞典」本編(角川書店 初版 1999年3月10日) - 角川学芸出版
- ^ 右記のほか「《音羽村/小山村》立会新田」が記載されている。
- ^ 明治以降の変遷は不明。本項では町数に数えない。
- ^ 記載は三室戸村。
- ^ 愛宕郡に跨って所在。
- ^ 『久御山町史 第2巻(54頁)』久御山町、1989年。doi:10.11501/9576547 。2022年5月20日閲覧。
- ^ 藤本孝一「山城国宇治郡と久世郡境界考-二つの宇治郷を中心にして-」(初出:京都文化博物館研究紀要『朱雀』2集(1989年)/所収:藤本『中世史料学叢論』(思文閣出版、2009年) ISBN 978-4-7842-1455-6)P183-192)
- ^ “京都府下山城葛野郡長戸田高富宇治郡長小原正壽の両氏は巳ふ旨を諭され辭職せしが右両郡役所の事務撿査の爲雨森同府七等属は宇治郡へ兼田九等属は葛野郡へ去七日出張を命ぜられしと”. 朝日新聞(大阪). (1882年2月10日)
- ^ “當府六等属山田親良氏わ一昨日京都宇治郡長に轉任せられたり”. 朝日新聞(大阪). (1982年2月16日)
- ^ “職務進退・勅奏任 進退録坤乙”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
- ^ 『官報 1892年12月28日』日本マイクロ写真、1892年12月28日。doi:10.11501/2946117 。2021年12月8日閲覧。
- ^ “京都府葛野郡長兼愛宕郡長川本正路外三名免兼官等ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ “茨城県猿島西葛飾郡長河田景雄外六名任官ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報』第3236号、明治27年4月17日。
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- ^ 『官報 1899年09月14日』日本マイクロ写真、1899年9月14日。doi:10.11501/2948153 。2021年12月8日閲覧。
- ^ “京都府久世郡長田辺信成以下七名同府与謝外六郡長ニ被任ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報 1913年07月01日』日本マイクロ写真、1913年7月1日。doi:10.11501/2952374 。2021年12月8日閲覧。
- ^ 『官報 1913年06月30日』日本マイクロ写真、1913年6月30日。doi:10.11501/2952373 。2021年12月8日閲覧。
- ^ “判事後藤多喜蔵外二十八名任免ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
- ^ “京都府愛宕郡長菊山嘉男外五名任免ノ件○台湾総督府視学官野口敏治任官、休職福井県農業技師鶴巻恒太依願免本職”. 国立公文書館. 2021年11月8日閲覧。
- ^ “京都府宇治郡長栗山透休職ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月8日閲覧。
- ^ 『官報 1921年02月10日』日本マイクロ写真、1921年2月10日。doi:10.11501/2954671 。2021年12月8日閲覧。
- ^ “京都府宇治郡長筒井正克外十五名任免並官等陞叙ノ件○朝鮮総督府済生院主事伊藤藤太郎任官”. 国立公文書館. 2021年12月8日閲覧。
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