宇治達郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宇治達郎の意味・解説 

宇治達郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/13 00:16 UTC 版)

宇治 達郎(うじ たつろう[1][2][注釈 1]1919年11月25日 - 1980年11月27日[1][3])は、日本医師胃カメラの開発者の1人。

経歴

長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身[4][注釈 2]。その後、埼玉県大宮に移り、浦和中学浦和高校東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した[1][2]

卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)[4][2]。1946年に復員し、外科副手となった[1][4][2]。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた[1]。1950年に医学博士を取得した[1]

胃カメラ開発の3年後に東大病院を辞職し、宇治病院初代院長であった父の元に帰り、開業医として務めた[1][4]

脚注

注釈

  1. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』は「うじ たつお」とする[3]
  2. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』は埼玉県出身とする[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g "宇治 達郎". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2024年8月13日閲覧
  2. ^ a b c d 宇治達郎(医師)体内を見る胃カメラを開発し内視鏡検査の基礎を築く 要旨”. 三菱電機. 2024年8月13日閲覧。
  3. ^ a b c "宇治達郎". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2024年8月13日閲覧
  4. ^ a b c d 宇治達郎(医師)体内を見る胃カメラを開発し内視鏡検査の基礎を築く”. 三菱電機. 2024年8月13日閲覧。
  5. ^ 吉川英治文化賞 過去の受賞者一覧”. さいたま市. 2024年8月13日閲覧。
  6. ^ さいたま市民栄誉賞 市民栄誉賞受賞者”. さいたま市. 2024年8月13日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  宇治達郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宇治達郎」の関連用語

宇治達郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宇治達郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宇治達郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS