木瀬三之とは? わかりやすく解説

木瀬三之

読み方きせ さんし

江戸初期歌学者。通称作兵衛。名は正房・随宜、号は三之・竹林斎。山城宇治郡生、近江大津住。里村昌琢門人下河辺長流戸田茂睡契沖等より先んじて識見時流擢んでるものであったという。またその作歌近世歌学において先駆をなした。松永貞徳親交した。著書に『三輪若宮縁起』がある。元禄8年(1695)歿、90才。

木瀬三之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 15:49 UTC 版)

木瀬 三之(きせ さんし、生没年不詳)は、江戸時代前期の国学者慶長から元禄にかけて生きたといわれる。通称作兵衛。山城国山科の出身。今井似閑、宮川松堅らが師事した。詠歌が宮川松堅編『倭歌五十人一首』に載せられている。




「木瀬三之」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木瀬三之」の関連用語

木瀬三之のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木瀬三之のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの木瀬三之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS