宇宙利用と惑星探査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 01:10 UTC 版)
「アメリカ合衆国の宇宙開発」の記事における「宇宙利用と惑星探査」の解説
月到達以降は米ソ両国ともに偵察衛星は打ち上げられたものの宇宙への期待値は小さくなっていった。そのような中でNASAは惑星探査か宇宙ステーション実験のどちらかに予算を絞るように命令された。しかし、アポロ時代に中止されたサターンロケットを再利用することで両方を行うことが可能になった。 アメリカ初の宇宙ステーションはスカイラブ計画で行われた。これはロシアの宇宙ステーションサリュート1号よりは遅れたが、非常に大きな宇宙ステーションになった。初期の失敗によって修理が必要になったが、合計4回宇宙ステーションへ人間が送られた。また、ソ連との間で宇宙での滞在時間競争が起きた。スカイラブはスペースシャトル開発の計画と連携してステーションをより高い位置に持っていく計画が存在したが、スペースシャトルの開発が遅れたためこれは実現せず、主に3回の利用のみで大気圏に再突入することになった。 この後、アポロ宇宙船を利用してアポロ・ソユーズテスト計画も行われた。これはアポロ宇宙船とソユーズ宇宙船のドッキング計画であった。当時、米ソ間は緊張緩和が進んでおり、宇宙開発は金がかかることもあり両国の共同で行われた計画であった。ドッキングが必要であるためドッキング機構は両国で共に開発を行う必要もあった。これは宇宙開発競争の終わりをもたらし、現在の国際宇宙ステーションへとつながっているともいえる。 月探査後に最初に行われた惑星探査は火星探査であった。これはアポロ以前から行われていたパイオニア計画やマリナー計画の次の計画として行われ、バイキング計画と名づけられた。バイキング計画では火星の周回軌道に衛星を乗せることに成功し、2台のローバーを火星におろすことに成功した。火星は地球に似た星であり、詳しい情報が知られていない時代には生命が存在する可能性が噂されていたが、これらの探査結果によって以前から抱かれていた火星に生命が存在するという考え方は否定されるようになった。 惑星探査における最大の成功はおそらくボイジャー計画である。これは数百年に一度の惑星直列にあわせ、探査機をそれぞれの惑星に送り込む計画であった。ボイジャー計画に先立って送られたパイオニア11号によって土星の環が非常に薄いことや環の間に隙間があるなどの情報が得られており、これがどのようなものであるのかを調べることも期待されていた。電波を使っても10分以上かかる超遠距離通信になるため、探査機が独自で判断する能力を持ったほか、宇宙を航行中にプログラムを変えることが出来る柔軟な機能を持たせることになった。 ボイジャー2号は1977年8月20日に、ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられ、まずは木星と土星を探査することになった。予算や当時の技術力に対する信頼は天王星や海王星まで探査することを予定しなかったのである。しかしながらボイジャーは大きな成功を収める。木星の大赤斑や環、衛星の状況がわかったほか、土星の環の羊飼い衛星や土星の衛星タイタンの噴火など惑星科学に非常に意義深い結果を残した。これらの結果から探査の延長が認められ、ボイジャー2号はさらに天王星や海王星を探査することになり、天王星の地軸が倒れていることや逆行している海王星の衛星トリトンなどを発見した。大型ボイジャーの成功は宇宙の探査において大きなきっかけになった。
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