宇宙利用の発展(1980年 - 1995年)
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「フランス国立宇宙研究センター」の記事における「宇宙利用の発展(1980年 - 1995年)」の解説
1974年になると、フランスの宇宙予算の大部分は欧州の宇宙計画に与えられるようになる。結果としてCNESのいくつかの計画(地球観測Géole計画とその衛星 Dialogue、ギアナ宇宙センター、ディアマンB-P4ロケット)が凍結され、国内プログラムも(気象衛星計画メテオサット、アリアンロケット)段階的にESAへ移転された。この時代は、CNESにとって、社会的にも技術的にも困難な時代で、イーブ・シヤル長官とユベール・キュリアン理事長以下の執行部の下で、数年にわたる改革が行われた。1977年には、政府がCNESの優先ミッションについて以下の指針を示した。 早急にアリアンロケットを実証し、欧州宇宙機関において製造を開始する。CNESは計画の3分の2の資金を分担し、代理人として開発と製造を指揮する。 1979年12月24日にクールー宇宙センターからアリアン1ロケットが成功裡に打ち上げられ、この目標は達成された。数回の改良を経てアリアン4ロケットに進化し、商業打ち上げシェアの大半を占めるようになった。2003年までに、この第一世代アリアンロケットの打ち上げは144回に上り(内116機がアリアン4ロケット)、並外れた成功率を誇っている。より出力高いアリアン5ロケットが2003年に後継機となった。 地球観測国家プログラムをCNES内部で検討する。 SPOT衛星計画を生み出す検討が、トゥールーズスペースセンターで行われた。この計画は、新政策によって主要な計画を凍結され、エンジニア達への代償のようだった。しかし、スポット計画がCNESの重要な計画の一つになった事実から、正しい判断であったと言える。衛星5機が打ち上げられ、1986年に運用が開始した。又、軍用衛星Heliosは、新世代のSPOT衛星との技術協力の恩恵に浴している。 市場におけるフランスの優位性を確保する。 フランス宇宙プログラム、そして欧州プログラムを通じて、ロケットや衛星に係わる技術及び宇宙システム全体の管理技術が産業として成長した。CNESは産業としての強化に貢献し、現在も品質・信頼性、経営管理手法、宇宙技術者育成などに、努力を続けている。 ドイツとの協力による世界初の通信衛星Symphonie計画は成功したが、以後CNESはフランス一国レベルではなく、欧州の電気通信(携帯電話、テレビ、データ通信)計画であるECSプログラムを支援することによって、欧州としてこの分野に貢献する。
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