学制とイヌクティトゥット語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 17:09 UTC 版)
「イヌクティトゥット語」の記事における「学制とイヌクティトゥット語」の解説
学校教育と接触する以前のイヌイットの教育とは、人のまねをして実際にやってみて覚えることを指し、イヌクティトゥット語には伝統的な習俗や自然現象を言い表す語彙が揃う。記法をもたない音声言語として継承されてきた。植民地主義の台頭によりヨーロッパの学校制度がカナダに持ち込まれる。聖公会やローマカトリックの宣教師は自らの手でイヌイットの学校を開くと教育に乗り出した。みずから覚えた教師がイヌクティトゥット語で授業をしたり記法の開発に取り組んだ。 最初のイヌイット向け寄宿学校(en)は1928年に開き、授業は英語で行った。カナダ政府が北の国土に興味を強めるとイヌイットの教育にも影響が及び、第二次世界大戦後にはどの地方でも英語が公用語として定着する。雇用のチャンスを増やすために、英語で意思疎通ができなければ困ると役人は強調した。学校、職場あるいは遊び場でも、イヌイットは強制的に英語を使わされる。イヌクティトゥット語は自分の感情を表現し自己証明を図る方法、英語は経済活動の道具として使われていく。 1960年代に入ると、ヨーロッパの人々はイヌクティトゥット語の認識を変えていく。絶滅させてはいけない言語と認められ、特に学齢が低く知識習得の早い段階では母語による伝達が最善という議論がかわされるようになる。すると英語と先住民族語の2言語を使う「バイリンガル校」が考案され、1969年の投票でイヌイットのほとんどが公立学校の廃止と「新ケベック支庁」Direction Generale du Nouveau-Quebec (DGNQ) に従った学校の創設に賛成票を投じた。そして現在、教科はイヌクティトゥット語と英語・フランス語で教えている。
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