学制改革6校を入れ替え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 23:43 UTC 版)
「大阪府立和泉高等学校」の記事における「学制改革6校を入れ替え」の解説
太平洋戦争後の1948年の学制改革により、大阪府立和泉高等学校として発足した。当時泉南(和泉)地域にあった旧制の中等教育学校6校のうち、貝塚市立高女と組合立泉南女子農芸学校の2校の生徒を府立和泉高校・府立佐野高校の2校に、岸和田市立高女の生徒を府立岸和田高校・和泉高校の2校へ分離編入される形で廃校とした。 その上で、府立岸和田中(岸和田高校)と岸和田高女(和泉高校)・佐野高女(佐野高校)の3校について、高校1年生と併設中学校3年生の男女生徒を交流させた。 交流で岸和田高女から抽選で選ばれた女子が岸和田高校に移り、岸和田中学校から住所で選ばれた男子が和泉高校へ移って男女共学が始まった。 なお高校の校名について当初「第二岸和田」などの仮称が使われていた。高女の名称「岸和田」のまま改編されると同名2高校が存在することとなるため、岸和田の名称を歴史の古い岸和田中学校側に譲り、和泉国に由来する大阪府立和泉高等学校を新制高校の名称とした。
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