学制改革以後
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「大阪市立大和田小学校」の記事における「学制改革以後」の解説
かつて大和田小学校より分離した2小学校を再統合する形で、戦後の学校教育が再開された。1947年の学制改革では、大阪市立大和田東小学校へと改称した。 1950年9月にはジェーン台風により、校舎が床上浸水する被害を受けた。また1961年には第二室戸台風により、校舎が約1.9メートル床上浸水する被害を受けた。 1950年11月には校地が拡張されている。校地拡張の対象地には民家があったが、住民の立ち退きに伴う代替地として、旧千船国民学校跡(現在の西淀川区大和田3丁目付近)を提供している。 1967年には校名変更が実施され、現在の校名・大阪市立大和田小学校となった。 1960年代後半より西淀川区での公害問題(大気汚染問題)が深刻化し、1969年には大阪府・大阪市の両教育委員会より公害対策校に指定され、1970年には校舎に空気清浄機が設置された。
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学制改革以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 23:46 UTC 版)
1947年には学制改革により、大阪市立弘治小学校へと改称した。また新制大阪市立西成第二中学校(現在の大阪市立今宮中学校)が一時校内に併設されたが、今宮中学校は1949年に独立校舎へ移転している。 1991年には新校舎が落成した。校舎建設の際、大阪市営地下鉄花園町駅の駐輪場を学校地下に併設した。 一方で地域の児童数減少に伴い、2000年代には1学年1学級の単学級校となり、学校の統廃合が検討された。同様に児童が減少していた近隣の萩之茶屋・今宮小学校との3校での統合、および今宮中学校敷地に併設しての小中一貫校化での統廃合が具体化し、2015年4月より大阪市立新今宮小学校・今宮中学校(いまみや小中一貫校)に改編されることになった。 これに伴い2015年3月31日付で閉校となった。
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