子供とデザイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 00:58 UTC 版)
戦後間もなく、工芸指導所の所員らと玩具設計技術協会やデザイン評論家勝見勝が命名したロンム・プール・ランファンといった団体を設立するなど、玩具のデザインに熱心であった。しかし、コピー商品に対する意識の低かった当時のメーカー(木製玩具のメーカーの多くは小田原にあった)は、売れ筋の商品を真似た製品を作ることが一般的であり、新しいデザインのものに対しては関心がなく玩具デザイナーとしては成功しなかった(もっとも、秋岡によれば企業が「デザイン料」として一般的に支払うようになるのは60年代中頃からだったという)。会員で百貨店で展覧会を開くなどの活動を行ったが、そのような業界の現状に大きく失望した。 コドモノクニなど多くの絵本を見て育ち,学生時代には画家を志したこともあり、自由な作風で知られる初山滋に師事。北原白秋の詩の挿絵や児童書の装丁を担当するなど、評価を得て新潮社賞を受賞。絵や図面が描けることから依頼されたラジオのキャビネットのデザインを始めたことで工業デザインの分野に仕事が広がったが、学研やチャイルドブックなど、童画・挿絵の仕事は平行して続けられた。児童書の付録のために型紙で製作するモビールを多数提供。 学研の「科学」や「学習」で、一般的に使用され始めたプラスティックを使用し優れた教材をデザインしたことで、社会的に大きな反響を得て「科学」では各学年ごとに月40万部発行されるまでになった(プラスチックレンズは学研が初めて)。発行部数が伸びることで学研で学ぶ児童の割合いが高まり、図らずも画一化した教材になってしまったことに疑問を感じ、学研には発行部数を抑えるように提言したが当然受け入れられず、デザイナーとして立ち止まる要因の一つとなった。 NHK教育テレビ、みんなの科学に3度出演。「まわり灯籠」などアイデアを提供。『玉川子ども百科事典』、国土社「建築の発明発見物語」など学童のための本を監修。
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